決められた材料、分量、調理法などない。何にも縛られず、自分だけの「美食」を味わうために作る料理があってもいい。それはきっと、心満たす色鮮やかな時間をくれるはず。出張料理人・ソウダルアが綴る、人と料理と時間と空間の物語。
「さんま苦いか塩つぱいか」
そんな詩をどこかで読んだ気がする。
たぶん、花の女子高生のころだったような。
あれから、10年余りがたち、人生の苦さもしょっぱさも味わってきた私にはなんとも皮肉に聞こえてくる。
大学入学と共に、名産も思い入れもない地方都市から、東京に。
女子高生というブランドと謎の自意識を奪われた東京での暮らしに、私もまた、ただの地方都市のようなものでしかないという思いに晒された。
最低限の勉強と、小遣い稼ぎとひまつぶしと出会いの為のアルバイト、周りに言われるがままにはじめた就職活動。
失敗ではないけれど、恵まれてるともいえない所からもらった内定。まあ、嬉しかったけど。
いろんなことを打ち明けられる仲間もいるし、お気に入りの町にも住めている。
通い慣れたお店も何軒かある。
寂しくなったときに遊ぶ男友だちだっている。
でも、そのどれもがほんとうに大事なのかどうなのか、よくわからなくなるときがある。
いつからか、夏が来てもテンションが上がらなくなった。
雨が降った、というだけで一日中、家に籠もるようになった。
仕事帰りの満員電車でいきなり泣きたくなった。
そんな気持ちを最新のスイーツやトレンドスポットやSNSや、お酒なんかで蓋をしてきたけど、もしかしたら、限界なのかもしれない。
地元に帰るという選択肢も頭をもたげるけれど、会いたい人もいなければ、自分が暮らすというイメージも持てない。
そうこうしているうちに東京生活10年目の夏が終わった。
まだまだ暑いけれど、9月という文字を見ると、やはり夏から秋になるような気分になる。
学生時代の節約から始まった自炊が意外と性に合っていた私は気晴らしに料理をする。
昔の彼氏には張り切って、あれこれつくったものだが、自分の為にとなると、ぱぱっとつくれるものが中心になる。
買った食材をググればレシピはいくらでも出てくる。
便利になったものだ。
今日もいつも通りスーパーに入ると、いつもはないテーブルの上に氷水に入った秋刀魚がどさっと特売の文字とともに積まれていた。
苦いかしょっぱいか、か。
いまの私にはちょうどいいかもしれないな。
大根おろしに醤油。かぼすだか、すだちだかを絞って。
なんとなく、目があったような気がした秋刀魚を二匹選んで、半分にカットされた大根の上の部分、あってるかはわからないけど、すだちしか売ってなかったので、すだちをカゴに入れる。
家に着くなり、汗でほとんど落ちた化粧の残りを落としきる。
短パンとTシャツに着替えれば、ほっとする。
彼氏というものがいなくなって一年以上もたつと、この素の状態が板につく。
楽になったところで、まずはお米を研いで、炊飯スイッチを押しておく。
冷蔵庫に入った飲みかけの白ワインをグラスに注ぎ、テレビをつける。
いつも通り、面白いか面白くないかよくわからないことを面白そうに話している人がたくさんいる。
さてさて、秋刀魚を焼こう。
久しぶりに使う、魚焼きグリルの中を確認してみる。
一見きれいだけど、なにか不安なので軽く水でゆすいでみる。
秋刀魚に軽く塩をかけて、グリルに入れる。
火加減はよくわからないので中火で。
その隙に大根おろしをすってしまおう。
大根は上が甘い。
昔、アルバイトをしていたダイニングカフェで同い年だったコックさんが教えてくれた。
彼とは少し付き合ったりもしたけれど、就職活動で忙しくなった私とは時間が合わなくなり、自然消滅してしまった。
大根おろしをする手の血管を見ていると彼の筋張った腕を思い出す。
いつもは包丁やフライパンを持つ手が自分の為に使われるのが好きだった。
ぱしゅぱしゅっという音と共に、グリルから焦げた香りがしてきた。
さあさあ、召し上がろう。
思いの外、いい感じに焼き上がった秋刀魚にすだちを絞る。
部屋の中に爽やかな香りがひろがって気持ちいい。久しぶりに嗅ぐ匂いだ。
大根おろしに醤油をたらして、秋刀魚にたっぷりとのせて、おおきめの一口でぱくりといく。
冷たい大根おろし。醤油の味。焦げた皮。ふんわりとした身。すだちの酸味。脂のうまみ。いろんな味と香りと温度が入り混じる。
実際、食べた秋刀魚は苦くもしょっぱくもなく、ただただ、美味しかった。
一口食べれば、また一口、と飽きもせずにどんどん食べた。
骨と頭としっぽだけになった秋刀魚はどこか満足げで誇らしそうだった。
苦くても、しょっぱくても、明日はくる。
一人で秋刀魚を焼いて、一人で美味しく食べる夜も悪くない。
大人になるって、こういうことなのかもしれないな。
ピーっピーっピーっと音が鳴る。
二匹目は炊きたてのごはんといっしょにいただこう。
きっと、間違いなく美味しいやつだ。
単純だな。
なんだか、にやけてしまう。
幸せって、誰かからもらうものじゃなくて、こういうことなのかもしれないな。
いただきます。
言い忘れていた、一言を声に出して言ってみた。
大阪生まれ。5歳の頃からの趣味である料理と寄り道がそのまま仕事に。“美味しいに国境なし”を掲げ、日本中でそこにある食材のみを扱い、これからの伝統食を主題に海抜と緯度を合わせることで古今東西が交差する料理をつくる。現在は和紙を大きな皿に見立てたフードパフォーマンスを携え、新たな食事のあり方を提案中。
【フードパフォーマンス映像】
https://vimeo.com/275505848