料理ユニット「アンドシノワーズ」で旧仏領インドシナ三国(ラオス・カンボジア・ベトナム)の食文化を広めている田中あずささん。毎日キッチンに立ち、料理をしながらいろいろなことを考えるのが密かな楽しみなのだそう。その時間を『脳内よそ見』と名付けている田中さん。日々の料理に疲れたとき、息抜きしたいときにぴったりの、肩の力がふっと抜ける『脳内よそ見』のヒントをお届けします。
こんにちは、はじめまして。
私は「アンドシノワーズ」というユニットで、旧仏領インドシナ三国(ラオス・カンボジア・ベトナム)の食文化をご紹介する料理人です。具体的に何をしているかというと、かの地で学んだ古典料理と家庭料理をみなさまにご紹介する、サロン形式の料理教室を東京で開催しています。
さて、料理を作るのが毎日のこととなると、正直「楽しい」だけではなくなることってありませんか? 私はあります。料理人なのに。いや、だからこそ? 料理から離れたくなる瞬間が定期的にやってきます。
それが仕事ではなく、家庭となったらどうだろう。家庭では、多い人になると家族の人数分を3食。しかもそこにお弁当や、おやつのオプションが入ってくることもある。全部手づくりじゃなかったとしても、何かしら用意はしないといけない……。えらいことです。
私どもは1日1組のプライベートサロンですから、ゲストのための食事作りに朝から集中できますが、日々、3食プラスαの食事を用意されている方は、どのような段取りをやりくりしているのかと思うと、それこそ尊敬するばかりですし、「楽しい」だけじゃやってらんない日も、あると思うのです。
料理に飽きた、疲れた。できれば作りたくない。でも作らなきゃいけない――。私は、そう思うと率先して単純な「下ごしらえ」に没頭します。
なぜ下ごしらえか?と言えば、フィジカル(体を動かすこと)とロジカル(頭を動かすこと)のバランスがとれるから。
私の場合ですが、「料理をしたくない!」と思う時は、たいてい、料理以外の頭でっかち(ロジカル)な原因があります。部屋が散らかっているとか、今日締め切りの原稿がうまく書けないとか、きのう飲み過ぎて疲れた……とか。そうした先入観みたいなものをリセットし、無心になり、ひたすら料理に向かっていくためのウォーミングアップとして、単純な下ごしらえはとても効果があるように思います。
たとえば「みじん切り」や「せん切り」。
食材をできるだけ細かく、同じ大きさに揃えなければいけないこの作業は、最初こそコツがいりますが、慣れれば単純作業ならではのトランス状態が訪れ、今までくさくさと考えていたことが、どうでもよくなってきます。ここはピーラーやフードプロセッサーを使わず、ぜひ古典的に包丁とまな板で行いたい。まな板のトントンという音と、手に伝わる一定の振動は、独特な心地良さがあるものです。
この方法は、もちろんみなさんが料理をするときも使えます。
みじん切りで言えば「玉ねぎ」「にんじん」「セロリ」など、切っておいて後々使えるもの。大量にできたそれらは、チャック付きのビニール袋に密閉して冷凍し、スープやカレーにできる日を待ってもらいます。
せん切りは「大根」「キャベツ」「きゅうり」など、切ったら何か調味料をかければそのまま食べられるもの。そこに納豆や卵でもあれば、1食完成です。
他には「野菜の小皮をむく」「葉野菜の根にかんだ土を洗う」「じゃがいもの芽をとる」などもよい。
その日に使わなくてもいいから、先を考えずに、いや、未来の料理に使えることを信じて(笑)、できるだけ単純な作業をひたすら続けることがポイントかと思います。
「料理をしているとリラックスする」「ストレス解消になる」「気分転換になる」といった声をよく聞きます。それは、(誤解を恐れずに言うと)料理の、ある意味単調さに、どこか落ち着き、ほっとできるところがあるからではないか。ひたすら手を動かしながら自分に向き合い、どうでもいい妄想をふくらませる「脳内よそ見」ができるからではないか、という経験から、この企画が始まりました。
例えば今日、私は大量のレモングラスをごく細かいみじん切りにしながら、ジョン・ボン・ジョヴィ(John Francis Bongiovi Jr.)について考えていました。そう、今でも現役で活躍されているスーパーロックバンド「BON JOVI(ボン・ジョヴィ)」のセンターです。
彼の姓は「ボンジョヴィ」ですが、それをバンド名にしてしまった性(さが)は何なのか? 私だったら「田中」ですので、バンド名が「田中」ということになります。「田中」というバンドを、ここまで大真面目に貫き通し、全世界のファンを熱狂させたジョンの凄さって何だろう? そう思いながら、有線チャンネルから流れる名曲「Livin' On A Prayer」を聞いているうちに、気付くとそこには、それはそれは美しいレモングラスのみじん切りが出来上がっていました。
……くだらない。くだらなさ甚だしい。しかし、単純作業に没頭しているからこその脳内よそ見が、私をまた、今日の料理に向かわせてくれるのです。
この連載では、普段、私がひたすら料理をしながら誰にも話すことなく、自分の脳内で妄想している「脳内よそ見」をお聞きいただきたい。読み物ではありますが、できれば、昼間のラジオのように、日々の追い立てられる忙しさから気をそらせ、コーヒーでも飲みたくなる、一服のコラムになればと思っております。
料理の話もあれば、いきなりボン・ジョヴィについて熱く妄想するかもしれませんが、これも、毎日の料理が作った産物。
どうぞ、気がついたらおつきあいいただければ幸いです。
料理家、フードスタイリスト、コピーライター。
仏印料理教室『アンドシノワーズ』主宰。2006年頃からインドシナ(ラオス・ベトナム・カンボジア3国)の古典料理を研究・紹介。