料理ユニット「アンドシノワーズ」で旧仏領インドシナ三国(ラオス・カンボジア・ベトナム)の食文化を広めている田中あずささん。毎日キッチンに立ち、料理をしながらいろいろなことを考えるのが密かな楽しみなのだそう。その時間を『脳内よそ見』と名付けている田中さん。日々の料理に疲れたとき、息抜きしたいときにぴったりの、肩の力がふっと抜ける『脳内よそ見』のヒントをお届けします。
こんにちは。
前回のコラムで、私の個人的な「ラジオ愛」についてお話したところ、とある番組に伺う機会を頂戴し、主人とふたりでお話をしてまいりました。毎週日曜、24時からJ-WAVEでオンエアされる「GROWING REED」です。
先日収録を終え、放送日はまだ未定のようですが、お時間があればHPなどで検索いただき、放送予定をご覧いただければうれしいです。
ラジオの収録は初めてではないのですが、お邪魔するたびに毎回「(私たち出演者含め)ひとつの番組を作るには多くのスタッフの皆様が関わり、チームで作っている」ことを思い知ります。
スタジオに入る前は、あれを話そう、こういう流れでお伝えしよう……。と内容を思案しているのですが(聞き手がいらっしゃる場合は特に)、いざ収録が始まるとその通りにお話が進むことはなく、むしろ私たちが思ってもみなかったおもしろい仕上がりになっている。
今回もマイクの前でお話をしながら、自分の凝り固まったシナリオがどんどん崩されていくよな、新鮮な時間を過ごしました。
料理にも、同じようなことが言えるかもしれません。
私はほぼ毎日、夫婦という小さなチームでキッチンに立ち、ゲストをお迎えすべくひたすら料理や掃除やテーブルのしつらえをしていますが、たまに外部のイベントなどで料理人の仲間と一緒に仕事をすることがあると、ふたりで籠もって料理をしている時と全くちがう段取りやレシピで料理がみるみるできあがっていくさまがそれはそれは見事で、普段自分が作らない味を知ることがとても刺激になります。
ひとりで集中して作るのももちろん楽しいけれど、全くちがう味のセンスを持った人と料理をシェアする経験は、今まで知り得なかった味の世界が広がるなあ! と実感するのです。
そういえば、私たち夫婦がたびたびお世話になるラオスの山奥のお宅では、家族や親戚が集まって料理を作ることが当たり前で、誰かひとりがキッチンに籠る、ということがありません。
便利な調理家電のない台所では食事の準備にかなり時間がかかることもあり、大人も子どもも、男女も関係なく、自分ができる準備をする。
この境地までいくと「今日は料理がめんどくさいな〜」とか「せっかく作ったのに残っちゃった(おいしくなかったかな?)」とか「片付けは明日でいいや(ちょっと罪悪感)」とかいう悶々とした料理の悩みが一切なくなります(笑)。時間になれば料理をする、以上!
清々しいですね。
片や、残念ながら私は大家族の一員ではないので、料理はだいたい個人プレー、もしくは主人との最小チームプレー。
そうするとけっこうな頻度で、自分でも、家族の誰かのでもなく「ひとんちの料理」を食べたい欲が爆発することがあるんです。不思議なことに、いくらおいしい外食でも満足できず、誰かの日常にある、名もなき家庭料理が食べたい。
それは手の込んだ料理でなくてもよく、卵かけごはんでも、塩むすびでも、例えば切ったかまぼこでもいい。とにかく、慣れきった自分の舌が選んだものではない味を無性に欲する。私はこの衝動を「まかなわれたい欲」と呼んでいます。
ああ、書いていたらまかなわれたくなってきた(笑)。
もちろん、自分の慣れた味の良さはある。「これじゃないとね!」という決まり手があるのは、家庭料理の醍醐味と思います。でも、それに飽きることがあれば、無理して頑張らずに誰かの料理にまかなわれたらいいのかもしれません。
最近は当たり前に耳にするようになった「ポットラック(持ち寄り料理)」もいいし、ちょっとしたおかず交換でもいい。今はなかなか機会がなくなりつつある「ひとさまの料理を頂く」「ひとさまに料理をおすそわけする」という食体験って、毎日の料理が楽しくなる、ひとつのきっかけなのかもしれないなと思うのでした。
料理家、フードスタイリスト、コピーライター。
仏印料理教室『アンドシノワーズ』主宰。2006年頃からインドシナ(ラオス・ベトナム・カンボジア3国)の古典料理を研究・紹介。