クックパッド初代編集長であり、自他共に認める料理好き・小竹貴子のエッセイ連載。誰にでもある小さな料理の思い出たちを紹介していきます。日常の何でもないひとコマが、いつか忘れられない記憶となる。毎日の料理が楽しくなる、ほっこりエピソードをどうぞ♪
私の故郷は、石川県金沢市というところにある。
もう80歳近くになる父親の実家は100年以上続く老舗のお米屋さんで、その暖簾分けのような形で私の実家も小さなお米屋を経営している。父親が若かった頃は大きく商売していたけれど、今は両親も年を取り、ほんとこじんまりとひっそりお店が開いている。
私がまだ子どもの頃だから30年ほど前のお話。父親の実家(寺町というところ)の近くにある神社で、春と秋と年に2回、小さな町のお祭りが開かれていた。その祭りの季節になると、たくさんいる親戚が集ったり、集まらなくとも、お料理好きの伯父が作ってくれるごちそうがたくさん家に届いた。
一つ一つ、本当に丁寧に作られたお料理はどれも美味しいのだけど、中でも私が好きだったのは、さっぱりとした酢飯に挟まれた、甘辛く煮た具材がたっぷりのった押し寿司。
食べ始めると、あと1つ、あと1つとつい手が伸びてしまう。お腹がぱんぱんになるまで食べていたように記憶している。
しかし、気が付くと私も含め子どもたちは大きくなって、祖母も亡くなってからは、親戚同士集まることも減り、伯父の押し寿司を食べる機会もなくなっていた。
ある時ふと、「あの押し寿司の作り方、覚えたい」。そう思い、数年前実家に帰省した時に伯父に電話をして、「貴子です、あのお祭りの押し寿司を自分で作りたいので教えてもらいたい」と言ってみた。
伯父は笑いながら、「貴子もそんなことが言える年齢になったか」と嬉しそうに言い、早速私の実家に来てくれてお寿司作りをすることになった。
まずは、押し寿司の具づくり。ゆで筍、焼きかまぼこ、かんぴょう、干し椎茸を小さく刻み、干し椎茸の戻しを使って砂糖と醤油でゆっくりと甘辛く煮る、ちょっと甘いなと思うくらいがちょうどいい。
そして、具を冷ましている間にすし飯をつくる。大きな木枠に、経木(きょうぎ:薄い木の板で食材の包装などに使う)を敷き、具、すし飯、海苔の順にのせる。それを2度繰り返し、重ねていく。そして重しをのせて一晩置いてしっかりなじませる。
普段つくっているちゃちゃっと作る簡単料理とは違い、作ってみて気が付いたのだが、晴れの日、お祭りの料理は想像以上にかなりの手間暇がかかる。
伯父に聞くと当時は2升の米を炊いて作っていて、家族総出で作っていたと。「まぁ、大食いの貴子がたくさん食べたからだよ」と笑いながら言っていたが、私のいとこは12人いて、きっと伯父はその全員に配っていたのに違いない。
伯父に料理を教わっている時、普段料理をしない父親が台所に来て、伯父と押し寿司を眺めながら、亡くなったおばあちゃんの話やら、子どもの頃食べたお料理の話をそばでし始めた。父親の普段見ることのない茶目っ気あふれる様子に、失礼と思いつつちょっと笑ってしまった。
そうして2日ほどかけて作り、できあがった押し寿司。今でも本当に美味しい。あぁこれこれ、そう、あの味。家族揃ってこんなセリフが口から飛び出した。
そうして伯父に押し寿司の作り方を教えてもらってから数年経ってしまった。あれから実は2度ほどしか作っていない。ただ、お正月に金沢に帰省するたびに、伯父から「貴子、あれ作っとるか」とそんな話になる。父親ともそんな話になる。
今年は作って、写真撮ってメールで「作りましたよ」って伯父に送ろう。
クックパッド株式会社ブランディング・編集部担当本部長。1972年、石川県金沢市生まれ。関西学院大学社会学部卒業。株式会社博報堂アイ・スタジオを経て、2004年に有限会社コイン(後のクックパッド株式会社)入社。編集部門長を経て執行役に就任し、2009年に『日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2010』を受賞。2012年、同社退社。2016年4月から再びクックパッド株式会社に復帰。現在、日経ビジネスオンラインにて『おいしい未来はここにある~突撃!食卓イノベーション』連載中。また、フードエディターとして個人でも活動を行っている。