作家・生活史研究家。食や食らし領域が専門。
約30年続いた平成は、2019年の4月に終わりを迎えます。平成にあったさまざまな食のブームや事件を、昔懐かしいものから直近のものまで、作家・生活史研究家の阿古真理さん独自の視点で語っていただきます。
日本人にとって牛肉のごちそうナンバーワンといえば、長らくしゃぶしゃぶかすき焼きだった。その魅力は何といっても、たっぷりのサシ、つまり脂肪が入っていて柔らかいこと。牛肉の品質を決めるのは、社団法人日本食肉格付協会だ。
高い等級を得るのは、サシが入ったマーブル模様の肉。そのため、生産者は美しいサシを入れる工夫をして牛を飼育してきた。神戸牛も松坂牛も、人気ブランド牛は皆、サシが美しい黒毛和種である。
黒毛和種のルーツは、兵庫県の但馬牛。西日本では古くから牛を農耕用に使うため育ててきたことが、肉食解禁されたときに有利に働いた。そして「肉」と言えば牛肉、という文化が育つ。肉じゃがでもカレーでも、関西で使われるのは牛肉である。ちなみにすき焼きも兵庫県で誕生した。
ところがここ数年、赤身肉の人気が高まっている。赤身肉の代表は、岩手県ほか北東北と北海道で産する日本短角種。岩手県の日本短角種は、鉄や塩などの物資輸送に使われていた南部牛がもとになっている。
日本短角種が注目されるポイントは、肉そのものの味わい、そして育て方である。
黒毛和種はアメリカ産の飼料を与えられ、牛舎で育てられることが多いが、日本短角種は春から秋まで放牧し、自然交配で子どもを産む。その育て方は、近年注目される、家畜が快適に過ごせるよう配慮する「アニマルウェルフェア」のイメージにも合う。
また、黒毛和種の飼料は、日本の食糧自給率を下げる要因の一つでもある輸入飼料が主体だが、日本短角種の飼料は国産が中心になる。そして、脂肪が少ない赤身主体の肉にはヘルシーな印象もある。
とまあ、ここまでは理屈先行と言えるが、今後も日本短角種ほか赤身肉の人気が高まっていくと思われる一番の原因は、日本人の嗜好の変化だ。
肉全体として視野を広げてみると、ここ10年ほど肉ブームが続いている。最初は、ホルモンだった。話題を集めた『悶々ホルモン』(酒井和歌子、新潮社刊)の発売が2008年である。2013年頃から熟成肉ブームが始まり、その次に来たのが赤身肉である。
これらの肉ブームから見えてくるのは、肉のうま味をどう引き出し、味わい尽くすかに関心が高まっていることだ。
ホルモンは、それまであまり知られていなかった内臓の多彩な味や食感に、熟成肉では肉のうま味や風味が増した状態に、多くの人が引きつけられた。
赤身肉はその意味で、肉そのものの味わいに注目が集まる。つまりすっかり肉食文化が根づき成熟した結果、ストレートにうまみを感じさせる脂肪分や多彩な味のホルモン、うまみが強調された熟成肉ではなく、シンプルな肉の味わいを楽しむ人が増え始めたということだ。
そもそも、霜降り肉をおいしく食べるしゃぶしゃぶやすき焼きは、肉がめったに食べられないごちそうだった時代の記憶につながっている。50代以上なら子どもの頃、「今夜はすき焼きよ!」と親に言われて小躍りした人も多いだろう。特別なごちそうだったからこそ、柔らかくて脂がたっぷりの肉を堪能していたのである。
しかし、現代人にとって肉はもはや日常食。日常的に食べるなら、カロリーが高くごちそう感がある霜降り牛より、軽めの赤身肉の方が食べやすい。アルゼンチンやアメリカなど、肉を日常的に食べる国で人気なのは、赤身肉である。
とはいえ、今のところ日本短角種などの赤身肉はブランド牛のため、毎日食べるわけにはいかないのが残念なところだ。