作家・生活史研究家。食や食らし領域が専門。
約30年続いた平成は、2019年の4月に終わりを迎えます。平成にあったさまざまな食のブームや事件を、昔懐かしいものから直近のものまで、作家・生活史研究家の阿古真理さん独自の視点で語っていただきます。
2000年代半ば、食卓の周りでは、カラフルな色やポップなデザインが流行していた。一つはキャラ弁。それからマカロン。そしてル・クルーゼの鍋。おしゃれで楽しい流行は、もしかすると1970年代半ばに生まれた団塊ジュニア世代が、結婚や出産をする年齢になったから起こったのではないか。2005年、1975年生まれは30歳だった。
なぜ団塊ジュニアとポップな食の流行を結びつけるかというと、親子ともども戦後生まれのこの世代はおしゃれに敏感で、次々と新しい流行を生み、あるいは流行にのってきたからだ。
1990年代、彼女たちは女子高生ブームの中心にいた。ポケベルを使いこなし、たまごっちを育て、使い捨てカメラで日常をパチパチ撮っていた。
日常をイベントに変えることが得意な彼女たちが、結婚や出産をする年齢になった2000年代。新しいスタイルの生活雑誌が次々と創刊された。2003年にライフスタイル誌の『クウネル』(マガジンハウス)と『天然生活』(地球丸)、2005年に『うかたま』(農文協)が創刊されたほか、2004年に創刊された生活情報誌『Mart』(光文社)が、「もっと生活遊んじゃおう!」のキャッチフレーズで、台所周りの商品を紹介し始める。そんな中、ル・クルーゼの鍋が脚光を浴びた。
ル・クルーゼの鍋の最大の特徴は、カラフルなカラーバリエーションである。赤にオレンジ、ピンク、青、緑……。見た目だけではない。1925年にフランスで生まれたこの鍋は鋳物ホーロー製で熱伝導率がよく、ふたが重いのでご飯も炊ける。煮込み料理や蒸し煮にも威力を発揮する。おしゃれな料理が簡単にできることも、人気を後押しした。
ただし、直径20cmのもので約3.1㎏と重く、ガラス質のホーローは、落としたり衝撃を与えると欠けたりヒビが入る危険がある。強火での使用や空焚きも厳禁と、取り扱いには注意を要する。
私があの頃、団塊ジュニア世代の友人から「火の通りも早いし、ご飯もおいしく炊けるんです。料理が上手になりますよ、ぜひ!」とすすめられたのに買わなかったのは、この使い勝手の悪さのためだ。テフロン加工のフライパンですら、「ゴシゴシ洗えないから不便」と、鉄のフライパンに買い替えたほど。そんな私が触れば、美しいル・クルーゼの鍋があっという間に傷だらけになってしまう、と思ったのだ。
幸い、家には母が「昔買ったけど使わなかった」と譲ってくれた、5層構造のステンレスでコーティングした無水鍋があり、ル・クルーゼの鍋みたいに蒸し煮や煮込みに重宝していた。銀色なので、かわいくもなんともないが……。
興味深いことに、無水鍋は団塊ジュニアが生まれた1970年代に流行していた。同じ頃、花柄の鍋やポットも流行。あの頃人気だったかわいらしさ、便利さの二つを兼ね備えたのがル・クルーゼの鍋だった。親子二代、生活を楽しめる流行を体験しているのだ。
団塊世代が母親になった頃、ル・クルーゼの鍋が流行らなかったのは、まだ日本で売っていなかったからだ。ル・クルーゼの日本法人が設立されたのは、1991年。広まり始めたのは、フランスからやってきた料理研究家、パトリス・ジュリアンが1994年、『お鍋でフランス料理』(文化出版局)という本を出したことがきっかけだ。
2000年代半ばに大流行した理由は、まず料理研究家の平野由希子が次々とル・クルーゼの鍋を指定したレシピ本を刊行したこと。最初の一冊は、2003年発売の『「ル・クルーゼ」だから、おいしい料理』(地球丸)である。続いて、『Mart』がくり返しル・クルーゼの鍋とそれを使った料理を紹介している。創刊当時の同誌は勢いがあったから、『Mart』で知って鍋を買った人は多かったのではないか。
あの流行から10年あまり。その後、他のブランドも上陸し、日本でもバーミキュラという鋳物ホーロー鍋が登場。すっかり鋳物ホーロー鍋は、定番の一つになった。この鍋がきっかけで、料理にめざめた人もいるだろう。道具が料理の腕前を左右することに気がついて、道具にお金をかけるようになった人もいるだろう。流行はいつも、新しい視点と世界をもたらしてくれるのである。