決められた材料、分量、調理法などない。何にも縛られず、自分だけの「美食」を味わうために作る料理があってもいい。それはきっと、心満たす色鮮やかな時間をくれるはず。出張料理人・ソウダルアが綴る、人と料理と時間と空間の物語。
年末年始の忘年会、新年会をほどよくスルーしたりして少し、生活に余裕が生まれてきた。
その余裕からか一人で映画館や美術館、学生以来ぶりにライブに行ったりするようになった。
いわゆる“おひとりさま”というやつだ。
「なぜに一人で?」と思っていたけど、やってみると随分と性に合っていることがわかった。
選ばれる喜びよりも自分で選んで自分で決める方が好きだということに今さら気づいた。
映画や美術館にしてもそうだ。
人気の俳優に興味がなかった。
昔の俳優のぎらぎらした目つきが好きだと知った。
ぎゅうぎゅうの美術館で絵より人の頭をたくさん見るのに辟易としていた。
下町にぽつぽつある小さなギャラリーや変なチョイスの雑貨店、古びた喫茶店でおじいちゃんが淹れるコーヒーの香りが好きなんだ、私は。
大好きなアーティストのライブに行った帰り道、今夜の曲が代わる代わる、脳内でリフレインする。
去年、出会って、どハマリした、そのシンガーソングライターが紡ぐ切実な言葉は今の私の状況と感情に完全にシンクロした。
『一丁前にフラストレーション たまっちゃって すみません』(※1)
『いつのまにか増えていた 荷物を捨てなくちゃ 何も掴めない 私は選べない』 (※2)
『わたしのために わたしのための わたしでわたしでありたい』(※3)
美しいピアノの調べと低く伸びやかな彼女の声は私の心に突き刺ささり、やさしくつつんでくれた。
緊張と緩和の連続で限界突破に満たされた心ではあるけれど、そうは言っても今は21時47分。
お腹が空いていることにどうにも気がついてしまう。
ぱっと、目に入ったのはオレンジのライトに黒い文字の牛丼屋。
牛丼って、これまた学生以来になるのかも知れない。
しかし、今日は小さいながらも任されたプレゼンの為にいつもより高いスーツを着てしまっている。
いかにも、キャリア志向のアラサー女。
おひとりさま初心者の私にはまだ、ハードルが高い。
そうか、そうか。
それならばつくればいいんだ、牛丼くらい。
駅前のスーパーはまだ空いている。
炊飯器にご飯も残っている。
新宿からなら、電車で一本だ。
家に着くなり、メイクも落とさずキッチンでフライパンに白だしを入れて水入れて、醤油をさっと入れたら、弱火で火をつける。
軽く沸いてきたら、箸で混ぜて、ぺろりと舐める。ちょっと辛いので、蜂蜜を少々。
うんうん、いい感じ。
そこに斜めに切った白ねぎをばさり。
ねぎがくたりとしてきたら、30%OFFだった黒毛和牛をざばっと全部入れてしまう。
肉はレア派なので、ちょっと赤い所が残っているくらいで。
こんな風にできるのが家ごはんの醍醐味だ。
丼にごはんをよそう。
いい感じに煮えてきた肉たちをその上に汁ごとぶっかける。
しるだくだ。
語感がいやらしい感じがして人前で言えなかったけれど、家でなら平気で言える。
本当に欲しいものがないなんて愚痴る暇があったら、とっととつくればいいんだ。
そっちの方が遥かに早いし、誰からも文句が出ない。
だしと醤油と牛肉のにおいが空っぽの胃袋を強烈に刺激してくる。
さあ、食べよう。
まず、肉をぱくり。
うーーん、美味しい!
しるだくのごはんを丼に口をつけて、ずるっとかきこむ。
そこに肉ととろりとなったねぎもほうりこむ。
米、肉、ねぎが一緒になると美味しいを通り越して、何やら楽しい。
思いついてしまった。ここに卵を入れたら、絶対にうまい。
慌てて、ぱかりと割り入れる。
黄身が割れないように端から食べつつ、機会を伺う。
ちょっと、冷めてしまったので温めよう。
そして、気分をすこし落ち着けよう。
案の上、唇の端についていた米粒を手で取って食べる。一粒でもちゃんと美味しい。
ちんっと鳴る。
ふんわりと立つ湯気が愛おしい。
白身も透明から少し白っぽくなっていい感じ。
米と肉と卵をがしがし混ぜる。
ぜんぶが一緒になって、美味しそうな何かになっていく感じがたまらない。
前の前の彼氏に嫌がられて以来、できなくなってしまっていた。
そんなに混ぜて、気持ち悪くないの?
けっこうな真顔で言われた。
もう、スペックだけで男は選ばないと決めた瞬間だった。
顔はもう覚えてないけど、妙に甘ったるい語尾を伸ばす喋り方だけは覚えている。
それをかき消すようにもっとがっしがっしと混ぜ続ける。
その勢いのままにわしわしとかっこんでいく。
子どもみたいな一気食いにテンションが上がってしまう。
ぷはあっ
息の代わりに牛丼ばかりを流し込んだせいか、少し息苦しい。
嫌な男の思い出なんざ、牛丼一杯。
明日の朝には消化してお終い。
今日、聞いたあのシンガーソングライターなら、こんなエピソードも素敵な作品にしそうだな。
わたしはわたしで わたしがつくったごはんをわたしがたべている。
お見事におひとりさまな一日だ。
ごちそうさま。
つくってくれた自分に、バイマイセルフに言ってみた。
※1『前線』(作詞・作曲: ヒグチアイ)より引用
※2『東京』(作詞・作曲: ヒグチアイ)より引用
※3『わたしはわたしのためのわたしでありたい』(作詞・作曲: ヒグチアイ)より引用
大阪生まれ。5歳の頃からの趣味である料理と寄り道がそのまま仕事に。“美味しいに国境なし”を掲げ、日本中でそこにある食材のみを扱い、これからの伝統食を主題に海抜と緯度を合わせることで古今東西が交差する料理をつくる。現在は和紙を大きな皿に見立てたフードパフォーマンスを携え、新たな食事のあり方を提案中。
【フードパフォーマンス映像】
https://vimeo.com/275505848