世界中の台所を訪れて現地の人と料理をする台所探検家・岡根谷実里さん。そんな彼女が今回振り返るのは「タイのアカ族の村」でのご飯。レストランも食堂もない村の人々に「自炊疲れ」はないのか?現地家庭の思い出を振り返ってお届けします。
そろそろ自分の作った料理じゃないものが食べたくて困っています。
テレワーク、外出自粛、三食自炊。そんな生活が日常になりました。100%自炊の生活に突入し、最初はいろいろな料理に挑戦したりもしましたが、結局自分で作るものは偏るし、作っている途中で味も想像がついてしまう。最初は楽しかったのに、いよいよ面倒になってきてしまいました。家のごはんは好きだけれど、それ"だけ"になるとこんなにもつまらないものなのかと、実感する日々です。
そもそも、子どもの頃は毎日家でご飯を食べていたし。気軽に外食ができるのは、お店も機会もたくさんある今の暮らしに慣れてからのはず。それなのにどうしてこんなに我慢ができないのでしょう? これは「贅沢な悩み」なのか…?!
そういえば、自分が台所探検でお世話になった中にも、毎日食を"手作りする"暮らしがありました。彼ら彼女たちは、100%自炊の生活のようだったけれど、どうして飽きないのでしょうか。今は届かぬその暮らしに、思いを巡らせてみることした。
思いつく限り、最近訪れた中でもっとも100%自炊の生活を楽しんでいたのは、タイのアカ族の村です。 最寄りの街から山道を車で進むこと4時間、山奥の集落がそこでした。 毎日の食事は山からとってきた野草を塩や発酵調味料で味付けしたもの。村にはレストランも食堂もありません。くる日もくる日も野草の料理ですが、そんな中で時々あるのが「お互いの家に行ってご飯する」というイベントでした。
ある日の朝ごはん、わが家のおかずはテブーというマメ科の野草をゆでておひたしのようにしたもの。ところがお隣さんが持ってきたのもまったく同じもの。打ち合わせなかったからかぶっちゃったんだなあと、私はちょっと居心地のわるい気持ちになりました。 ところが誰もそんなこと気にする様子はなくて、ちょっと色味の違うお互いの家のテブーを食べながら談笑しているのです。
今思うとこれも「人の作ったごはん」。お隣さんの力を借りて、自分の手だけでは作り出せない味や気分の変化を楽しんでいたのでした。
そういえば、インスタント麺の袋を開けたお昼ごはんもありました。こんなに自然の食材に囲まれているのにと思ったけれど、あれも「たまには違うものも食べたい」ということだったのかも?
思い出してみて、一見自分の手でなんでも作っているようにみえた世界の家庭でも、完全に自分の料理で完結しているわけではなくて、「ひとの味」も取り入れていたことに気付かされます。 なんだかんだみんな工夫して、食事がつまらなくならないように工夫していたのです!
世界を訪れることはおろか、会社の同僚や友人に会うこともままならなくなった今、「自分以外の人が作った料理を食べたい病」は抑えようがなく、食事は栄養を摂取するためだけのものではないんだということを今まで以上に実感しました。普段いかに人との関わりの中で生きているかを突きつけられた気持ちです。
緊急事態宣言が解除され、少しずつ日常を取り戻しつつある今、誰かが作ってくれた食べ物や、一緒に食べられること自体にも、より有り難みを感じられそうです。
台所探検家。世界各地の家庭の台所を訪れ、世界中の人と一緒に料理をしている。これまで訪れた国は60カ国以上。料理から見える社会や文化、歴史、風土を伝えている。
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