日本No.1レシピサイト「クックパッド」編集部
コロナ禍の今、仕事や生活環境が一変し、落ち着かない日々を過ごしている人も少なくないだろう。そんな中、ふと日常を取り戻させてくれたり、ほっと一息つく時間をくれるのが食事だ。そこで、浅草のお寺で住職を務めるかたわら、料理を通じて仏教を伝える活動をしている料理僧・青江覚峰氏に、身体だけでなく心にもやさしい「一汁一菜」の食卓について教えてもらった。
一般的な日本の食卓といえば、ご飯とおかずというのがミニマムなスタイルだろうと思います。おかず、つまり「一菜」は、どちらのご家庭でも日常的につくっているのではないでしょうか。
一方で、ご飯とおかず、汁物という「一汁一菜」の食卓はどうでしょう? 言葉自体は比較的なじみがあり、非常にスタンダードな食卓ではあるけれど、とはいえ毎回汁物を用意するかというと、おかずほどの出番はないようにも思われます。
一日のエネルギーとなるご飯に、体を温める汁物と、 消化が良く季節も感じられる一菜。一汁一菜の食卓はバランスが良く、身体にやさしいイメージがあるかと思います。しかし、それだけではありません。一汁一菜は、わたしたちに自分や自分を取り巻く環境とじっくり向き合う時間をくれるのです。
まず、わたしは一汁一菜の「一汁」に非常に深い思い入れを持っています。なぜなら、汁物をいただくときには、必ず「ご飯茶碗を食卓に置く」という一手間がある。これをとても大事に感じているのです。
ご飯とおかずだけの食卓だと、常にご飯茶碗を片手に持ったまま、もう片方の手でおかずを取って口に入れ、次はご飯、次はまたおかずというふうに、文字通り「かっこむ」ような食べ方になりがちです。しかし汁物があると、そこにいったんお茶碗を食卓に戻して椀を手に取るという動作が加わり、わずかな“リセット”を取り入れることができます。
時間にすればほんの数秒の些細な間ですが、別のことを考えながらぱくぱくと口にものを入れてしまう食事の時間の中に、火傷しないように、こぼさないようにと、一瞬でも眼の前の食事に意識を向けるタイミングが生まれるのです。
さて、汁物と言えば、一にも二にも出汁が肝心。わたしの一日は出汁をとるところから始まると言っても過言ではありません。
朝起きて、顔を洗って、まずはだし昆布の表面を固く絞った布巾でさっと拭き、1リットルほどの水を入れた鍋の中へ。その後、お経をあげに行き、戻ってきてから鍋を弱火にかけます。そうして、沸騰する直前に火を止め、昆布を取り出せば完成です。
出汁をとるというのは、本当に興味深いことです。例えば、毎日同じように昆布を水に入れて弱火にかけても、出汁の味は日々違います。その日の気温や水の温度によってふつふつとしてくるタイミングも違えば、湿度や自分の体調によって香りの差を感じることもあります。
目で見て、音を聞き、温度を感じ、匂いをかぐ。ただ出汁をとるだけでも、その時その時の自分自身と自分を取り巻く環境とに心静かに向き合う豊かな時間を過ごせるのです。
この「見る」「見ている」というのは、とても大切なことです。例えば、コロナ騒ぎで暮らしに変化を余儀なくされている今、確かに自分や家族の体調は気になります。しかし過度に気にしすぎて、数時間おきに体温を測って記録するなんていうのは現実的ではありません。また、ウイルスの感染に用心するばかりでなく、いつもと違う生活のストレスによる心身の変化を見逃さないことも必要です。
この時、機械を動かすマニュアルのように四角四面に注意を義務付けるのではなく、「何となく様子を見ている」というのがちょうどいいのです。何となく見ていて、あれ、ちょっとおかしいなと思ったら、体温を測ったり横になったりとアクションを起こす。
出汁をとるのも同じです。何となく見ていて、沸騰しそうになったら火を止める。温度計を使って精密に温度を測定したりせずとも、鍋肌に浮かぶ小さな泡でわかりますし、慣れてくれば音や匂い、鍋のまわりの温度でもわかるようになります。このように、そばにいて意識を向けているというのが、出汁をとる際に何よりも大切なことなのです。
では、一汁一菜の「一菜」のほうはどうでしょうか。わたしは、こちらはできるだけ季節のものを使うように心がけています。
日本には四季があり、その季節ごとに手に取れる食材も違います。旬のものを食べると病気にかからないとも古くから言われていますが、考えてみれば当たり前のことで、旬のものというのは、その食材が一番美味しくなる時期。魚なら脂がのり、野菜なら大きく育つとき。栄養価が高くなっているのも当然です。
今の時期ですと、やはりたけのこは外せません。とれた地域によってさまざまな香りや味わいがあるのも楽しいものです。例えば最近、わたしが楽しんでいるのは「わかたけ煮」。共に今が旬のわかめとたけのこを煮たものです。
同時期に旬を迎える食材を組み合わせた料理を「出会いもの」と言います。同じ時期に違う場所でとれたものが、人の手によって一緒に調理され、一つの器に盛られる。実に素晴らしい文化です。季節という自然の恵みと、人間の創意工夫。これもまた出会いによって、食卓を彩っています。
外出自粛の今、こういった出会いを想像すると何とも楽しい気分になります。海のものであるわかめと、里のものであるたけのこ。自然の中では両者が出会うことはありませんが、人の手が加わることで一つの料理となる。
わたしたちの今の暮らしの中でも、今だからつながれた人、今だからお互いに時間を取れたという人もいます。この時期だからこその出会いを楽しむことで、閉塞感を覚えがちなこの状況を少しでも前向きにとらえる材料にできたらいいなと思います。
世の中はたくさんの出会いの積み重なりだと言えます。たまたま同じ時期、同じ場所に生まれた人が同級生になり、生涯の友になり、たまたま知り合った人と恋愛し、結婚をすることもあります。そうかと思えば、同じ時期に同じ場所にいても、一生出会わない人もいます。ちょうど良いタイミングで目の前にあったものが、仕事や趣味になることも。
そんなたまたまを「ご縁」と呼びます。長い歴史には星の数ほどの人間が存在しました。その中で同じ時を過ごしているというだけでも天文学的な確率です。同じ国に生まれ、同じ地域に暮らし、出会い、共に食卓を囲む。話し、笑い合う。計り知れないほど大きな縁の中で、わたしたちは生きているのです。
今この状況下だからこそ、そうしたご縁に思いを馳せて、家族と共に「出会いもの」から成る一汁一菜を囲んでみてはいかがでしょうか。また、仕事の仕方が急激に大きく変わり、それによって働き方や時間の使い方に誰もが意識を向けるようになりました。それもまたこのタイミングだからという偶然の産物です。「出会いもの」の気持ちを持ってリモートでの仕事に向き合ってみると、今までなかった新しい出会いを見つけることもできるかもしれません。
昨日までの生活と比べて、何が変わったと考えるのは致し方がないことです。しかし、春から夏になった時に暑い季節を憂いても自然の摂理で仕方がないことと同じように、今回の病魔も我々一人一人ができることはほんのささやかなことでしょう。終息はいつとも知れませんが、いつか必ず訪れます。アフターコロナのその時、世の中はどのようになっているのでしょうか。
ニュースなどで初めてコロナウィルスという名前を聞いた時、まさかここまで大規模で深刻な事態に陥るとは多くの人が予想していませんでした。一寸先は闇とはまさにこのことでしょう。しかしそれは同時に、一寸先は光でもあるのだと信じています。
本記事は、Yahoo!ニュースとの共同連載企画です。新型コロナウイルスの影響で、自宅で過ごす時間が増えています。クックパッドニュースとYahoo!ニュースでは、さまざまなジャンルの「食オタク」たちから、今こそ使える“自炊の知恵”を学ぶ連載を不定期で配信。おうち時間を楽しく、有意義に過ごすためのヒントを探ります。
1977年東京生まれ。浄土真宗東本願寺派 湯島山緑泉寺住職。米国カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。ブラインドレストラン「暗闇ごはん」代表。超宗派の僧侶によるウェブサイト「彼岸寺」創設メンバー。ユニット「料理僧三人衆」の一人として、講演会「ダライ・ラマ法王と若手宗教者100人の対話」などで料理をふるまう。著書に『人と組織が変わる 暗闇ごはん』(徳間書店)、『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。クックパッドニュースのオフィシャルコラムニストとして、『今日はお寺ごはんで一汁一菜』を連載中。
【公式HP】https://www.ryokusenji.net/kaku/
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