決められた材料、分量、調理法などない。何にも縛られず、自分だけの「美食」を味わうために作る料理があってもいい。それはきっと、心満たす色鮮やかな時間をくれるはず。出張料理人・ソウダルアが綴る、人と料理と時間と空間の物語の最終回。
チキンの丸焼きって食べたことある?
たまたま、2人きりで乗ったエレベーターの中で口をついて出てきた言葉だった。
クリスマスも近づいてきて、そこかしこで鶏料理のポスターを見ていた所為かも知れない。
えっ
なんて?
あっ
すみません
なんて言いました?
チキンのね、丸焼きって食べたことある?
なんすか、センパイ
私とクリスマス過ごしたいってことですか〜?
いつものドヤ顔に加えて、おそろしくにやにやしながら言ってきた。
やっ
そういうわけではないけれど
食べたことあるのかなって、素朴な疑問としてね
顔が赤くなってる気がする。
少なくとも暖房の効き方以上に暑い。
ふーん
素朴な疑問ね
そういえば、ちゃんと食べたことないですねえ
実はちっちゃい頃に母親にねだって、食べたことはあるけれど、あの頃は想像以上にグロテスクで、結局、足だけしか食べれなかったという少し悔しい記憶がある。
今年はちょうどクリスマスが仕事納めですよね
忘年会があると思って空けてたんですけど、なさそげですしね〜
ちらっと見ると、なにか言いたそうにもじもじしている。
なんやわからんけど、やたらかわいいやん。この人。
ちんっと鳴り、エレベーターの扉が開く。
じゃ
ちょっと、考えといて
あの
この前、ご馳走してもらったお礼だと思ってくれれば
クリスマスとか関け……
歩きながら言うから聞き取れなかったけど、まあ、大体わかる。
にやにやしてる口元を押さえて、スタンプを送っておいた。
お気に入りのうさぎのスタンプ。
デスクに着いて、スマホを見るとラインが1件来ていた。
いつものうさぎが“ええで”と言っていた。
ーーーーーーーー
師も走りまわる年末進行を前倒しにクリアしておいたお陰で、僕は定時前に仕事を終えていた。
ちらりと彼女の方を見ると、案の上、大掃除に追われている。
うん、予定通りだ。
昨日から仕込んでおいた1羽丸々の鶏。
レシピサイトで見るといろんなやり方が載っていたけれど、要はハーブや塩をして、一晩おいて焼けば出来上がるようだったので、銀座のデパートで買った美味しそうなハーブソルトをすり込んでおいた。
家に帰って、まず、鶏肉を取り出した。
ハーブソルトが馴染んでいて、すでに美味しそうだ。
いくつかのレシピに共通して、焼く前に常温に戻すようにと書いていたので、それに従ってみる。
中が生焼けになるのを防ぐ為らしい。
焼く温度は250℃で30分というのが多かったけれど、うちの電子レンジ兼用のオーヴン機能では200℃までしかない。
さらに、いろいろ読んでいると時間を伸ばせば大丈夫なようなので、200℃で1時間焼いてみることにした。
そろそろ、彼女が会社を出るころかも知れない、とスマホを見ると、またあのうさぎが今度は“風になる”と言って走っていた。
最寄り駅を伝え忘れていたことを思い出して送ると、
直接いくんで住所教えてくださいまし
と返ってきた。
変な言い回しをするな、と思いつつ言われるがまま、住所を送った。
そう言えば、この家に人が来るのはいつ以来だろう?
そう考えると少し緊張してくる。
トイレは綺麗かな?
テレビの上に埃がたまってないかな?
いろんな事が気になりだして、チェックをして回る。
うん、大丈夫。
そう言えば、昨日、掃除したところだ。
冷蔵庫から出しておいた鶏肉をオーヴンで焼き始めよう。
窓を開けてみると寒くなってきていたので、エアコンの温度を少し上げた。
ピーンポーン
オートロックじゃない方のチャイムが鳴る。
ドアを開けると、
はい!
メリクリ!
と言いながら、袋を渡された。
やはり、寒かったのか鼻がすこし赤い。
中を見ると、サラダとケーキらしき箱が入っていた。
センパイ、どうせ、こういうの忘れてそうやなって思ったんで買っときましたー
確かに丸焼きの事で頭が一杯でそれ以外のことは完全に頭になかった。
ありがとう
と言いながら、中に案内する。
へー
めっちゃきれいにしてますねえ
私が来るから、頑張っちゃった系ですかあ?
まあ、そんなところだね
とりあえず、なんか飲みたいです!
と言うので、ハーブソルトを買ったデパートに行った時に一緒に買ったシャンパンとグラスを冷蔵庫から出す。
えっ
めっちゃ高そうですやん、これ
やっぱり、張り切ってますねえ
グラスもなんか良さげやし
喜んでいるのか、ただ、にやついているのがわからない彼女のグラスにシャンパンを注ぐ。
自分の方にも注ごうとすると、
あきませんよ、手酌はー
と言いながら、少し重そうにボトルを持って、僕のグラスに注いでくれた。
以前、ワイン通の上司に男が注ぐものだと教わったけれど、気をつけながら両手でボトルを持つ、彼女が可愛らしかったので黙って受け入れることにした。
じゃ、カンパイ!
ちんっと結構、強くあてるので一瞬焦ったけれど嬉しそうにシャンパンを飲み干す彼女を見ていると、まあ、いいかと思えた。
ええにおいしてきましたねえ
確かに鶏が焼ける匂いとハーブの香りが部屋に立ちこめていたことにやっと気付いた。
ちーんと音が鳴る。
僕よりも先に立ち上がり、キッチンにいき、レンジを開ける。
やばっ
完全に鶏の丸焼きですやん!
どうやったんですか?
いや、ネットで見て適当に
すごー
センパイ、天才ですねえ
と言いながら、勝手に食器棚を物色している。
なんか、ええ皿ないですかねえ
そう言えば、この鶏が丸々乗せられる皿がうちにはなかった。
んー
なんか、なさそうなんで、これ、このまま使いましょか?
と言いながら、レンジの皿ごと出そうとする。
あつっ
あっつーー
あっ
ごめん
やるから、座ってて
すこし不服そうにリビングに戻ると、
これ、ちょうどええですねー
と、言いながら、シャンパンの入ったグラスで指を冷ましている。
わたし、いま手ぇ使えないんで入れてもらってええですか?
と、残ったシャンパンをぐいっと飲み干す。
シャンパンを注いでから、お皿とナイフ、フォークを出し、テーブルの真ん中にチキンの丸焼きを置く。
ここにあのサラダも一緒に入れましょうよー
と言い、冷蔵庫から出してきたサラダをチキンの周りに盛り付けていく。
無骨だったお皿が一気に豪華なディナーのようになった。
いいね
じゃあ、食べようか
今度はちゃんと目を合わせながら言えた。
いただきます
足の付け根のところにナイフを入れると、するっと取れた。
ふわっと湯気が立つ。
うわっ
やわらかそうー
それください!
そっちにもあるよ
そっちのがええんです
そっちください
こっちのはわたしが切ってあげますんで!
そう言いながら、うまくナイフとフォークをつかって、
はい、どーぞ
サラダも食べなダメですよー
と、僕のお皿にいい感じに乗せてくれた。
じゃあ、もっかい、カンパイ!
さっきよりもさらに勢い余った乾杯だったけれど、もう気にもならなかった。
これ、めんどくさいんで、もう手で食べますね
骨を持ちながら、むしゃりと鶏の足にかぶりつく。
よく見ると、いつもよりいくばくか赤い口紅に鶏の脂をつけながら、美味しそうに食べている。
そっか、そっちの方が美味しいよな、と思い、僕も手で持って、一口食べてみる。
皮がかりっとして、肉が口の中で滑らかにほぐれていく。
奥歯で噛みしめるとじゅわりと肉汁が出る。
これはうまい、と自分で感動していると彼女が口一杯にチキンを頬張りながら、ねっという顔をする。
やっぱり、もう戻れないな。
はいっ!
と言いながら、べとべとになった手で空のグラスを差し出してくる。
思わず、笑い出してしまう。
同時にすこし泣きそうにもなっていた。
なんなんすか、急にー
きもっ
はよ、ついでくださいよ
そういう彼女も笑っている。
そんな時間はあっという間で、もうチキンもサラダもシャンパンもなくなってしまった。
ごちそうさま
と、手を合わせながら、もうすこし一緒にいたい気持ちだった。
なのに言葉がうまく出ない。
(また、この人、もじもじしてはるわ
しゃあないなあ、ほんまに)
ちょっと遠いけど、あっこでハイボール飲みません?
今日は1杯目から飲んでもええですよ
また、いつものドヤ顔だ。
見透かされてるな。
うん、いいね
ちょうど、喉が乾いてたんだよね
君がシャンパンをほとんど飲んじゃったから
と言いながら、出掛ける支度をしようとする。
ちょっ
待ってくださいよ
まず、手、洗いません?
確かに。
べとついた手を2人でシンクで洗っていると、昔、小さな頃に泥遊びしたあとを思い出した。
ちゃんと、洗えましたー?
指の間もめっちゃ脂ついてるんで気ぃつけてくださいよ
急にお母さんみたいなことを言うから、また、笑ってしまった。
ーーーーーーーーーー
今日なにしてます?
あの日から、特に連絡がなかったのに急にLINEがきた。
大晦日だというのに。
珍しくスタンプではなく文章だ。
今年は帰省する気にもなれなかったので、家にいる予定だ、伝えると、
じゃあ、散歩しませんか?
と、返ってきた。
初詣?
いや、単に散歩です
あの桜のとこに待ち合わせで
そう言えば、初めて会ったのはあそこだ。
何時ぐらいに来れます?
16時ぐらいかな?
ちょうどいいです
じゃあ、16時にあの桜の木の下で
身支度をする為に風呂場の鏡を覗くと、随分とだらしない顔があった。
顔を洗って、髭を剃ると、いくぶんかはましになった。
外を出ると、ビジネス街の片隅のうちの周りにはほとんど誰もいなかった。
きっと、あの桜の木の下も誰もいないだろうな。
いつもながら、妙に長い信号を待っていると彼女が手を振っているのが見える。
初めて見る、大きめのチェックのコートと藍色のスカート、赤いマフラーがとても似合っていた。
じゃあ、いきましょ!
どこに行くとも言わずに皇居の周りの道を歩きはじめた。
いつもは皇居ランナーで一杯だけれど、今日ばかりは彼らもお休みのようだ。
なにか喋りだすのを待っていたけれど、特になにも言わずにさくさくと歩いていく。
特に話題も思いつかなかったので少し斜め後ろからついていく。
国立劇場を通り過ぎ、桜田門を抜けると一気に視界がひらける。
皇居前に規則正しく植えられた松の木と丸の内のビル群のギャップが美しかった。
ねえ
と言って、振り返りながら、
ここ、好きなんですよね
めっちゃ良くないですか? なんか
ぐるりと見渡しながら、景色の情報量に圧倒されていると、
あのビルのどれかで働きたいんですよね
アサハカかも知らんけど、せっかく、東京に出てきたんなら、一番って感じのとこで働きたいなあって
まっすぐな道の向こう側に見える東京駅とその両サイドに塔の様にそびえ立つビルたち。
あの中で働く自分はうまく想像できなかった。
だから、センパイ
わたしがあそこのどっかで働くまで、わたしのことちゃんと見ててくれませんか?
一瞬、告白かと思ったけれど、ちょっと違うようにも思えた。
あかんかな?
と目の前まで近づいてきて言う顔は初めて見る顔で、不安そうで帰る家を忘れた猫みたいだった。
うん
いいよ
これから、どんな展開になるのかはわからなかったけれど、どこかで聞いたヒット曲のワンフレーズのように、彼女の強さと僕の弱さが合わされば素敵な未来があるような気がした。
ほんまですか!
じゃあ、わたしがあのビルのどっかで働けるようになったら、そん時はでっかい花束で祝ってくださいね!
ちゃんと誓ってくださいよ!
うん
わかったよ
花束なんて買ったことはないけれど、誰かになにかを誓ったこともないけれど、あんな風に晴れの日みたいな笑顔を見ているとそう答えるしかなかった。
背中がほんのり温かったので、うしろを振り返ると皇居の方に美しい夕焼けが見える。
あんな風に彼女を優しく照らせるといいな。
ちょっとまだ、口には出せないけれど。
それまで待っててくださいね
飽きるまでちゃんと
飽きないよ、きっと
いただきます。
ごちそうさま。
そういう時間を増やしていきたいな。
めっちゃたのしい、いただきます。
めっちゃ美味しい、ごちそうさま。
大切をもっと増やして、この日を忘れないように。
今日も、
いただきます。
明日も、
ごちそうさま。
いつかは2人が、
ただいまって、
おかえりなさいって言えますように。
大阪生まれ。5歳の頃からの趣味である料理と寄り道がそのまま仕事に。“美味しいに国境なし”を掲げ、日本中でそこにある食材のみを扱い、これからの伝統食を主題に海抜と緯度を合わせることで古今東西が交差する料理をつくる。現在は和紙を大きな皿に見立てたフードパフォーマンスを携え、新たな食事のあり方を提案中。
【フードパフォーマンス映像】
https://vimeo.com/275505848