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コラム

高円寺の銘店『インド富士子』のカレーがマニアに偏愛される理由

【カレーヘッド列伝 vol.6】スパイスを楽しみ、カレーをこよなく愛する人たちがいる。ほぼ一年中カレーを家で作り、もちろん外でも食べ、「今度はこのスパイスで〇〇を作りたい!」と日々レシピ探求に余念がない。この連載では、そんなスパイス至上主義で生きる、カレーのことで頭がいっぱいな「カレーヘッド」たちの熱い思いにフォーカス! とびっきり個性的で楽しく、スパイスのように刺激的な彼ら・彼女らの日々を垣間見てみましょう。

【今回のカレーヘッド】『インド富士子』オーナーシェフ・小城正樹さん

高円寺駅から中央線の高架線に沿った、飲食店が立ち並ぶ道を歩いていくと、雑居ビルの1階に、居酒屋風情のカレー屋『インド富士子』がある。

入口に掛かっている、「インド富士サワー」と墨字で書かれた黄色と白色のツートンカラーの提灯が目印だ。昼はランチでカレープレートを、夜はお酒やスパイス料理を提供する。それはオーナーシェフである小城正樹さんが育った東小金井にあった初代『インド富士』から変わらない業態だ。

「一番好きなカレー」だと言って10年以上通い続けるファンも数多くいるカレー屋。「人見知りなんです」といたって控えめで物静かな雰囲気を携えた小城さんの作るカレーが、多くのリピーターを生むのはどうしてなのだろう。

「カレーは人なり」、カレーのひと皿にはその人となりが現れていると思っている。だからこそ、味わったその個性あるおいしさについて、作り手に聞き、それを伝えたいと思う。

今回は、マニアックな人々から物静かに偏愛され続けている小城さんのカレーに迫ってみたい。

小城 正樹さん

東京都出身。インドカレー激戦区・高円寺で人気のカレー店『インド富士子』のオーナーシェフ。大学時代4年間、欧風カレーの名店『まめ蔵』でアルバイトを経験した後、カフェ運営やケータリング事業を展開する企業へ就職。2007年にインドで南インド料理を実地で学び、2008〜16年には東小金井で初代カレー屋『インド富士』、2015年からは高円寺で2代目『インド富士子』を経営。趣味は音楽と飲酒。
【twitter】インド富士子 @indfjk

南インドに行く前夜

学生時代の4年間は、吉祥寺にある欧風カレーの名店『まめ蔵』でアルバイトを続けた。

当時はカフェブームの黎明期。同じ街の系列店には料理家の高山なおみさんがシェフとして腕をふるう『諸国空想料理店 Kuu Kuu』もあった。インドカレーの『リトルスパイス』など、いくつものエスニック料理のお店もオープンしたばかりだった。

「飲食店だけでなく、独特の感性を持つ尖った雑貨屋さんもありましたね」

そんな吉祥寺の時代の空気を敏感に感じ取りながら過ごした学生時代。2度ほど、ガムラン音楽を学びに留学をしている友人を訪ね、バリ島のウブドに滞在したことがあった。

滞在中はサテー(串焼き料理)が人気の定食屋さんを手伝った。串うちをはじめ、村はずれにあるひき肉加工所へ丸鶏を運ぶことまで、何でもしたという。帰る頃には、気づけばメモ帳は覚書でびっしりと埋まっていた。

「それまでのアルバイトでは目にできないような鶏肉の解体作業から料理が始まる世界を見ました。命からさばき、ひき肉にする工程を経験できた稀有な旅でした」

大学4年になると、週末には外苑前のカフェで好きな音楽を流すDJをした。すると、そのカフェを運営する会社の社長から「うちに就職しては」と打診を受け、自然な流れでその会社へ就職することに。

ケータリングやカフェ運営を幅広く展開する会社での仕事は楽しいものだったが、自分より若い人たちが第一線でバリバリと働く姿を見て、初めは自分の経験不足を実感した。が、彼らは「しょうがないなぁ」と言いながら、小城さんに多くの調理技術を教えてくれた。

十代から洋食店で修行してイタリアンレストランのスーシェフ(副料理長)まで務めた人や、アジア系屋台料理の達人など、すでに得意分野を持って活躍している社員たちを見ると、「自分には一体何があるんだろう」と考えさせられることも。しかし、「カレーだったり、カレーにまつわることなのかな……」と、おぼろげながらもそう感じていた。

2年半勤めた後、知人のカフェ運営を手伝うようになったが、もっとカレーを学びたいと思い立ち、インドをはじめ、さまざまなエスニック料理屋でアルバイトをすることにした。

インドネパール系レストランで働いていた時のこと。おいしい賄いを作る、人柄も信頼できる南インド出身の調理人に出会った。その彼が里帰りすると聞き、小城さんもその滞在期間中に合わせて渡印し、南インド料理を学びに行くことを決める。

身土不二(しんどふじ)からインド富士へ

行きの飛行機では、隣席にインド大使館の祝祭行事で調理をする南インド出身の人が座り、以前から学びたいと思っていた「ドーサ(南インドのパリッとした、大きなクレープのような料理)」の作り方を機内で教わることができた。

幸先のいいスタートを切った旅。南インドのタミル・ナードゥ、ケララ、カルナータカの3州を中心に、3カ月弱の滞在期間だったが、さまざまな料理の場を経験し、実りが多かった。

インドネパール系レストランで一緒に働いていた調理人の家や、そのツテで紹介してもらった現地の飲食店で習った本場仕込みの味だけでなく、パーマカルチャー(※)を実践するコミューンでは、食材を栽培して丁寧に作るベジタリアン料理を学んだ。旅の疲れを癒そうと訪れた、川沿いに立つ風光明媚なリゾートカフェでは、料理を学びながら旅の疲れを癒すこともできた。
※パーマネント(永続性)、農業(アグリカルチャー)、文化(カルチャー)を組み合わせた造語。人と自然が共存する社会をつくるためのデザイン手法のこと。

「これからのこととか、大丈夫かなとか、いっぱい考えごともしました……」

帰国すると、小城さんは「自分のカレー屋さん」をいよいよ始動させることに。お店の場所は、人出が少ないかもしれないと悩んだが、東小金井を選んだ。当時はまだ畑が多くあり、地元の新鮮な野菜を提供できればとも思った。

そんなある日、小城さんは、親しい先輩夫妻が営む、水道橋にある食堂『アンチヘブリンガン』を訪ねる。カレー屋さんの名前がまだ決まっていなかった。いくつもの候補名が挙がる中、ふと先輩が呟いた。

「身土不二を文字ってインド富士ではどうだろうか……」

身土不二とは「身と土、二つにあらず」で、「人間の体とその人間が暮らす土地は一体で、切っても切れない関係にある」という意味をもつ。言葉の起原は大昔の仏典に遡るが、「その土地のものを食べ、生活するのがよい」という食の思想とされることも多い。

地産地消とも言える、小城さんの思いを端的に表した言葉だった。駄洒落のような響きもいい。即決した。2008年、まだグルメ雑誌などで南インドの料理が取り上げられるようになる少し前のことだった。

居酒屋風情が漂う『インド富士子』の内装

インド富士子のカレーとスパイスものがたり

カレー屋の命名には、作り手の思いが凝縮されていることが多い。初代『インド富士』も然りだった。2015年からは、高円寺で2代目『インド富士子』を続けてきた。

そんな小城さんのスパイス使いのポイントは、基本的にカレーを作るその日の塩梅でスパイスを決める。微妙なその日なりの調整をする、「いい加減」がいい意味で作用しているのだ。

「今はほぼ味見はしません」

ずっと作り続けているから、もはや味見は必要ない。そもそも「スパイス使いに失敗はないと思います」と話す。

ただし、スパイスはちょっとした加減で印象が変わる。だからこそ、スパイスをおもんぱかる。小城さんはスパイスを入れ過ぎないようにすることだけは常々心がけている。

「あるスパイスを際立たせたいと思ったら、そのスパイスを多く使って存在感を出すのではなく、極力少なくしながら、ほかのスパイスと組み合わせていかに際立たせるのかを考えます」

高円寺にある『インド富士子』前にて

そんな小城さんの好きなスパイスの一つが「カルダモン」だという。

高貴なスパイスといわれるカルダモンは、独特のいい匂いがあります。ほかのどのスパイスとも似ていない、その匂いがいい。その良さを引き出すためにも、好きだからこそ入れ過ぎないようにしていますね」

ベジスイーツ「ハルワ」
筆者は以前、カルダモンを包丁で切り込みを入れて使っていた。できあがったカレーを食べている時、口の中に通称「カルダモン爆弾」が入り込むと、その味わい深さに感謝を込めて「ラッキーフォーチュン!」と心の中で雄叫びを上げていた筆者だったが、今はさやから種子をこそげ出して使うことが多くなった。

ギー(またはバター)で炒めたおろし人参を牛乳とカルダモンを加えてペースト状にし、最後に砂糖を加えてナッツをトッピングしたベジスイーツ「ハルワ」は、冷めたくしてもおいしいので、これからの季節にも作りたい。

マニアックに愛され続けるカレーのヒミツ

小城さんの作るカレーやスパイス料理は、どれもツーンとスパイスが真っ先に立って押し寄せる感じではない。どちらかと言えば、後からジワジワと入ってくる。翌日に昨日の食べた味を思い出して「やっぱりおいしいカレーだなぁ」としみじみする、実に個性的なカレーだ。

「僕が作っているのはインドカレーですが、現地で食べるホンモノのインドカレーはもっとすごくおいしいと思ってます。全く自分のカレーに個性がないとはさすがに言わないけど、どんなに一生懸命やっても本場のインドカレーにはかなわない。その“ヘタさ”が個性になっているのかもしれません」

ある日のランチプレート。カレーはフィッシュ(今回はスズキ)、ポークビンダルー、ダル(豆)の3つに、バスマティライスと日本米のターメリックライス。つけあわせは、ゴーヤ、新玉ねぎ、キャベツ、さつまいものそれぞれのアチャール。のらぼう菜のポリヤル。蕪のウールガイ。パイナップルのパッチャディ

そう静かに語る小城さんのカレーファンには、こだわりの品を取りそろえた雑貨屋さんやミュージシャン、同業のカレー屋仲間など、それぞれ個性的な世界観を打ち出し、独自のジャンルで活躍をする人たちが実に多い。

個性に溢れた人たちに愛され続けているカレーに個性がないわけがない。その物静かな人となりが現れた、スパイスが静かに後から染み込むカレーを食べに、これからもインド富士子に通い続けたいと思っている。

【今回のおすすめスパイス】 カルダモン

甘くエキゾチックで、すーっと爽やかな強い香りを持ち、「香りの王様」や「スパイスの女王」と呼ばれることもあるショウガ科のスパイス。

グリーンカルダモンの実は、長さ1~2cmほど。実の内部にある種子に強い香りがあり、ホールタイプは割って香りを抽出する。殻の部分に切り込みを入れて用いたり、殻をむいて種子そのものを取り出して使う。

グリーンカルダモンのさやと種子、パウダー

インドではカレーやガラムマサラをはじめ、チャイやお菓子など日常的に使われている。中近東でも「カルダモンコーヒー」やお菓子にも使われ、ヨーロッパでは北欧でパンや菓子の香り付けにも利用されている。

(TEXT: 馬塲悠衣)

馬塲 悠衣

東京都出身。立教大学文学部ドイツ文学科卒業。Switch, GEO日本版, 別冊太陽臨時増刊CLass Xなどの雑誌編集を経て、現在レシピ本の出版業務に携わっている。20代の頃、インド料理を学んだレヌ・アヌラさんの「スパイスはおくすり」との至言から、スパイスへ興味をもつ。スパイス好きがこうじて、5年間のニューメキシコ通いを経て、メキシコで唐辛子遊学を1年間したが、インドには行ったことがない。スパイスとハーブを使った、体がよろこぶような滋味感のあるカレー作りを、日々妄想模索中。2019年、第二回アマチュアカレーグランプリ準グランプリ受賞

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