決められた材料、分量、調理法などない。何にも縛られず、自分だけの「美食」を味わうために作る料理があってもいい。それはきっと、心満たす色鮮やかな時間をくれるはず。出張料理人・ソウダルアが綴る、人と料理と時間と空間の物語。
なんでこんなことになったのか。
よくわからないけれど、いつものバーのカウンターの隣に少し心配そうにしている男が座っている。
転職一発目の歓迎会で妙にはしゃいでしまった。
居酒屋の広間を貸し切ってのよくある飲み会。
前の会社に比べて、ぬるま湯みたいな雰囲気がいやに心地好くて、ビール、チューハイ、ハイボール、二次会のカラオケでは変な酒を飲みたくないので焼酎をロックで飲んでいたら、すっかりと酔っ払った。
気を取り直して、ハイボールを頼もう。
ここのハイボールはきりっと冷たく、炭酸もしっかり効いているから、酔いざましにちょうどいい。
それにしても、この男どこかで見たことがあるような気がする。
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なんでこんなことになったのか。
気乗りもせずに行った歓迎会だったのに彼女を送る羽目になってしまった。
確かに一人でほっとくわけにはいかなそうな酔いっぷりではあったが、すっと帰ろうとしたところ、上司に呼び止められた。
「お前、同期みたいなもんなんだから、送ってやれよ!」
ぜんぜん、同期じゃないし、関わりたいタイプでもない。
無理やり渡された5千円札。
仕方ないのでタクシーを捕まえて乗せると、上ずった声で行き先を告げている。
にやにやした上司の顔に見送られながら、タクシーは走り出した。
10分ちょっと乗ったところで。
「ここで!」
と言い出した。
「まだ、もうちょっとありますけど、、、」
心配そうな運転手の台詞を遮って
「いいから降ろしてくださぁい」
すみません、これでと、くしゃっとなった5千円札を伸ばしながら差し出すと
「ありがとうございましたー、お釣りはいいんでえ」
と、僕を押しやり、タクシーから出てしまった。
そして、つかつかと一人で歩きだし、ぽつんと明かりのついたバーに入ろうとしている。
慌てて、止めようとしたところドアが開いてしまう。
姿勢のいいバーテンダーがにこりとしながら、どうぞ、と言うから思わず座ってしまった。
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「ハイボールをひとつ」
と言いながら、ちらりと見た横顔はやはり、どこかで見た気がする。
わかった、桜の木の下のアリーナ男だ。
思い出すと文句の一つも言いたくなってくる。
「じゃあ、僕も同じものを」
と言うとなぜか、彼女が妙に大仰に。
「これはまだ、君には早いから好きなものを飲んでいいんだよ」
言ってやった。
いつか、言ってみたかった台詞をこのアリーナ男に言ってやった。
「あっ、じゃあ、ジントニックをお願いします」
なぜか、これでもかというドヤ顔でこっちを見ているのに気づかないふりをして頼むと、そのドヤ顔のままに
「先輩、半蔵門の桜の木の下でビール飲んでませんでしたあ?」
「えっ」
いた、確かにいた。
不機嫌そうにワンカップを飲みながら、なにやらわしゃわしゃと食べていたスーツの女。
「あそこ、私のアリーナ席だったんですけどー」
「だから、お詫びにここは奢ってくださいね」
とろんとした目とハイボールで濡れた唇が妙に色っぽくて思わず、承諾してしまった。
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朝、気づくと彼女の家のラグの上で寝そべっていた。
横を見ると昨日の格好のままベッドに横たわる彼女がいる。
鈍く痛む頭で断片的な昨日の夜の記憶を辿る。
アリーナ席からはじまった彼女の前の会社での愚痴。
バーでかかった音楽、ミドリの日に結成したインストバンドがお互い好きだったこと。
3杯目にやっと許されたハイボール。
カウンターの端っこに座っていた、アロハにビーサンのおじさんと遠目に交わした乾杯。
手を繋いで千鳥足で歩いた川沿いの道。
体調の悪さを差し引いても愉しい夜だったような気がする。
「おはようございます、、、」
めんどくさそうに恥ずかしそうに彼女はいう。
「おなか空きませんか?」
言われてみると空いている気もする。
スマホの充電は切れているけど、日差しの感じからすると昼前くらいにはなってそうだ。
「冷蔵庫に素麺入ってるんで茹でてくれませんか?」
この状況ですごいわがままを言うな、と思いつつ冷蔵庫を開けると桐の箱に入った素麺があった。
脇には美味しそうな素麺つゆもある。
意外と綺麗にしているキッチンのフライパンに水を入れ、お湯を沸かす。
「シャワー浴びるんで、任せちゃっていいですか?」
自由だな、と思いながら、準備を進める。
変な感じもするけれど、前からこうしていたような不思議な気分でコップにつゆを入れ、水で割り冷蔵庫に入れておく。
沸騰したお湯に素麺を入れる。くっつかないように均等に茹でられるように箸でぐるぐるとやる。
吹きこぼれそうになったら、火を弱くして、さらにぐるぐる。
箸から伝わる感触がほんのりと柔らかくなったら、茹でごろだ。
ザルに素麺をあけて、一番冷たい水で勢いよく洗う。ぬめりがとれるようにしっかりと。
すっかりと冷たくなったところで数本に手にとって食べてみるとしゃきっとした食感が気持ちよく、小麦のうまみがはっきりとしていて美味しい。
「おいしいっしょ、その素麺」
髪をバスタオルでがしがし拭きながら、へへっと笑う彼女は年齢よりも幼く見えた。
メイクをしているとわからなかった、薄いそばかすのせいかもしれない。
小さなテーブルにそうめんとつゆと箸を置いた。
昨日の夜は横並びだったので、正面にいると妙に恥ずかしい気分になる。
「いただきます」
「いただきまーす」
語尾以外はほぼハモりながら、素麺に箸をつける。
ずずずーーっ
ずずっ
ずずずずずーー
あっという間に3束を食べ終えてしまった。
ああ、美味しかった。
「ごちそうさま」
二人揃って言っていた。
なんでこんなことになったのかなんて、どうでもいいか。
特に手を出されたわけでもなさそうだし。
今度はアリーナ席から見える桜の感想を聞いてみよう。
昨日の夜に聞いたような気がしなくもない。
恋のはじまりの予感とか、ぜんぜんないけど、この人と食べる素麺は美味しかった。
二人で言った「ごちそうさま」はなんだかいつもより、いい気分だった。
大阪生まれ。5歳の頃からの趣味である料理と寄り道がそのまま仕事に。“美味しいに国境なし”を掲げ、日本中でそこにある食材のみを扱い、これからの伝統食を主題に海抜と緯度を合わせることで古今東西が交差する料理をつくる。現在は和紙を大きな皿に見立てたフードパフォーマンスを携え、新たな食事のあり方を提案中。
【フードパフォーマンス映像】
https://vimeo.com/275505848