約30年続いた平成は、4月30日に終わりを迎えました。「令和」になった今こそ、平成にあったさまざまな食のブームや事件を振り返ってみるのはいかがでしょうか。昔懐かしいものから直近のものまで、作家・生活史研究家の阿古真理さん独自の視点で語っていただきます。
会議や昼食会で、ペットボトルのお茶が並ぶさまは今、当たり前の風景となっている。しかし平成の初め頃までは、女性たちが急須でお茶を淹れて出していた。10時半、15時などにお茶の時間が設けられている職場もあり、女性たちは仕事を中断して用意する。牧歌的な光景は、女性社員が自分の時間を犠牲にすることで成り立っていたのである。
緑茶は、少し冷ましてから淹れるなど、旨味を引き出すにはコツがいる。この技術があるかないかで、母親のしつけがちゃんとしていたかが憶測され、淹れた女性が「いいお嫁さん」になれるかどうか、周囲は勝手に判断していた。昭和はそんなセクハラな視線も受け入れられる時代だった。
また、ピクニックや旅行で弁当を持参するとき、朝お湯を沸かして作ったお茶を淹れた水筒を用意する人も珍しくなかった。行った先に、飲み物を売っている自動販売機や店があるとは限らなかったからだ。
私も子どもの頃、遊園地などのお出かけや帰省旅行の朝は、母が大きなタータンチェック柄の水筒にお茶を淹れ、ふたを開けて冷ましていた光景を覚えている。遠足には、砂糖入りの紅茶を用意してもらうことが楽しみだったのも覚えている。
暑いときには、プラスチックの水筒に麦茶を入れて冷凍庫で凍らせ、遠足や運動会などに持って行った。お昼までには解凍しきっておらず、何度も水筒を振って溶かしては少しずつ飲んだものだった。
これらの昭和の風習は今、どのぐらい残っているだろうか。エコロジーの観点から水筒を持ち歩く人はいる。しかし、職場で急須から淹れたお茶が出される場面は、ほとんどなくなっているのではないだろうか。また、急須がない家庭も多くなった。
急須で淹れるお茶、水筒が不要になったのは、ペットボトルのお茶が普及したからだ。2リットル入りペットボトル飲料を箱買いしている家庭も多いだろう。外出先では、どこにでもあるコンビニや自動販売機のペットボトル飲料を買えるし、会議ではペットボトルのお茶を並べればいい。仕事先で出される飲み物が、ペットボトル飲料という場合も珍しくなくなった。
昭和と平成の風景が異なるのは、ペットボトル入りの緑茶が発売されたのが、1990(平成2)年だからだ。平成とともに登場したペットボトルは、職場の女性たちの雑用を減らし、家庭から急須を追い払っていく。
緑茶ドリンクを最初に出した伊藤園のWEBサイトを観ると、缶入り緑茶の発売は1984年である。そして緑茶より先に、烏龍茶ドリンクが1979年に発売されたとある。緑茶の発売が遅れたのは、開発に10年もかかったからだった。緑茶は淹れて数時間後にはカテキンが酸化し、茶色くなり香味も失われてしまう。それを防ぐために窒素を注入する技術を開発して、伊藤園は緑茶ドリンクを世に送り出した。
1990年以降は急速に緑茶飲料の市場が大きくなり、やがて他社も参入して、現在のコンビニに何種類かペットボトルの緑茶が並ぶおなじみの風景ができあがった。
伊藤園が緑茶を手軽に飲めるように、と緑茶ドリンクを開発したのは、1970年代には食生活の洋風化で急須でお茶を淹れなくなってきたからだという。しかし、『お茶は世界をかけめぐる』(高宇政光、筑摩書房)によると、急須で淹れる習慣が広まったのは、より繊細な淹れ方を要求する煎茶が普及した1970年代。それまでは土瓶ややかんで扱いやすい番茶を淹れていた。だから生活の洋風化で遠のいたのは、日本茶自体だったのかもしれない。
今、緑茶ドリンクを飲むのは、買えるからという人も多いだろう。弁当を買えばお茶、のどが渇いたからお茶、と気軽に飲めるのは、お茶を買うことができるからだ。今はお茶ブームで、産地にこだわったり、フレーバーティーにするといった、新しい緑茶の飲み方も登場している。時代に合わせて進化することで、古いものは生き残っていくのである。