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コラム

「きのう何食べた?」にも登場。庶民の味方「のり弁」が高級化した理由

阿古真理

作家・生活史研究家。食や食らし領域が専門。

【あの食トレンドを深掘り!Vol.44】90年代に流行した「ティラミス」、数年前に話題になった「おにぎらず」、直近では社会現象にもなった「タピオカ」など、日々生まれている食のトレンド。なぜブームになったのか、その理由を考えたことはありますか? 作家・生活史研究家の阿古真理さんに、その裏側を独自の視点で語っていただきました。

人気作品にも登場の「のり弁」。高級路線で人気に

10月6日深夜から、ファン待望の『きのう何食べた?』(テレビ東京系)のシーズン2の放送が開始された。ゲイカップルの弁護士の筧史朗(西島秀俊)と美容師の矢吹賢二(内野聖陽)の食卓を中心に、彼らとその周囲の人たちの日常を描く物語だ。原作はよしながふみのマンガ。単行本19巻に、のり弁が登場する。

史朗の誕生日、賢二はわっぱの弁当箱をプレゼントし、史朗が職場に持っていく初日の弁当を作りたいと言い出す。その際、賢二が選んだのがのり弁だった。上に載ったおかずはちくわの磯辺焼き、卵焼き、ウインナーとピーマン炒め、きんぴらごぼう。史朗は「のりの下のおかかのふりかけも白ごま入ってて俺の好みだ うまいうまい! はは のり弁のお手本みたいなおかずがのってるな」と喜ぶ。ご飯の上にはちぎったおかかふりかけなどを重ね、上に片面に醤油をつけた海苔を載せている。

連載する『モーニング』(講談社)での掲載は2021年。その頃、世の中ではのり弁のブームが始まっていた。

『ITメディア』2022年4月29日配信記事「1000円超の“高級のり弁”に行列、外食大手も注目 昔懐かしい国民食がなぜブームに?」によると、その始まりは2010年代半ば。まず、2015年に福島県郡山駅の駅弁「海苔のりべん」が全国放送のテレビ番組で紹介され、注目を集めた。2017年に東京のGINZA SIXで、手土産需要を狙った高級のり弁専門店「刷毛じょうゆ 海苔弁山登り」が開業。2020年には湘南のローカルスーパー「スズキヤ」がお茶漬けにもできるのり弁を発売し、全国スーパーマーケット協会が主催する「お弁当・お惣菜大賞2020」のり弁部門で最優秀賞を受賞する。同年、立ち蕎麦チェーン「ゆで太郎」がのり弁を発売する。コロナ禍のテイクアウト需要の追い風もあって、その後さまざまなチェーン店、専門店が参入し流行に火がついたのである。

流行した最大の要因は、長年庶民の味方だったのり弁を高級化したことだろう。同記事によると、スズキヤののり弁は、定番のちくわの磯辺揚げのほか、焼き鮭や卵焼き、煮しめ、煮豆、きんぴらなどが載ったゴージャスな内容で、インスタントのお吸い物の素を付け、途中からお吸い物を注いでひつまぶし風に食べられる。

のり弁に限らず、近頃、ハンバーグやアジフライ、おにぎりなど、定番の質を高めて流行する食べものが目立つ。10年ほど前から流行が始まったスパイスカレーも、従来のカレーライスに飽き足らず、スパイスの調合からこだわり、出汁まで加えて食材のバリエーションを増やす創意工夫がウケた側面がある。

数ある料理のなかで、のり弁の流行が定着した要因は?

定番が流行する要因としては、次の三つが考えられる。一つは、グルメブームが一巡したこと。グルメブームが始まったのは1970年代終わり頃。フランス料理に始まり、イタリア料理、タイ料理など、世界各国の料理が20世紀の間に次々と流行し、2000年代になるとカフェ飯としてそれらの新しい流行が融合。スイーツ、パンへも展開し、舞台もデパ地下、空弁(飛行機の機内食用)、速弁(高速道路のサービスエリアの弁当)などと広がって、日本中おいしいものだらけではないか、と思ってしまうほどグルメ化が進んだ。

今も新しい食が次々と紹介され、流行もするが、何しろグルメ化の進行も半世紀近い。ひと通りのグルメを体験した日本人は、足元の定番料理を見直したくなったのではないか。

二つ目の要因は、グルメ疲れである。あまりにも次々と流行が生まれるので、もう新しいモノはいらない、とイヤになってしまった人もいるだろう。コロナ禍や戦争、物価高など不安材料も増え、日常の食事ぐらいなじんだモノにしたい。そんな人に向けて、なじみのある料理を、しかし思い切ってグレードアップしたら、安心感を抱きつつ新鮮な気持ちで食べられるかもしれない。

三つ目が、和食再発見である。何しろ、挙げたすべての料理がご飯と合わせる、またはご飯を使う。ハンバーグはもともと洋食として、高度経済成長期に流行して定着した。しかし、今の流行をけん引するハンバーグ専門店は、炊きたてのこだわりのご飯と合わせる定食として出す。スパイスカレーも、ご飯と一緒に提供される。アジフライはもちろん定食のメインだし、おにぎりとのり弁はご飯料理だ。

のり弁を根付せた中食の文化

定番と言えば、のり弁を売り出した元祖は、持ち帰り弁当チェーンの「ほっかほっか亭」で1976年である。1974年に開業し1978年におにぎりを売り出したセブン-イレブンと共に、中食文化をけん引してきた。

『メシ通』2019年1月29日配信記事「のり弁当はなぜ『あのスタイル』になった? 元祖のほっかほっか亭にヒミツを聞いた」が、その歴史を解き明かしている。

モデルにしたのは、昭和30年代に家庭で作られていた「のりおかか弁当」。ご飯の上に、醤油をまぶした鰹節を載せたものだった。同チェーンが当初上に載せたのは、ホキの味噌漬けを使った焼き魚。調理に手間がかかるので、その後白身魚のフライとちくわ天に切り替えている。ロングセラーでベストセラーの商品だ。

私が1991年に社会人になったとき、初日に職場の近くにあったほっかほっか亭で買ったのも、のり弁だった。何しろ新入社員の給料は安いし、弁当や外食は高い。確か当時は300円台で、その安さに飛びついたのだ。初めて食べる温かい弁当は、海苔とおかか醤油、ちくわ天の衣に入った青海苔の香りが重なり合い、とてもおいしかった。

とはいえ、のり弁には野菜がほぼ入っていなかった。そしてのり弁に匹敵する安さのランチはほかにない。というわけで、続けては買わず、1カ月後には手作り弁当を中心としたランチに切り替えたのだった。

画像提供:Adobe Stock

阿古真理(あこ・まり)

1968(昭和43)年、兵庫県生まれ。作家・生活史研究家、くらし文化研究所主宰。神戸女学院大学卒業。食や暮らし、女性の生き方などをテーマに執筆。著書に『大胆推理!ケンミン食のなぜ』『昭和育ちのおいしい記憶』『昭和の洋食 平成のカフェ飯』『小林カツ代と栗原はるみ』『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』『おいしい食の流行史』『平成・令和食ブーム総ざらい』『日本外食全史』『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』『ラクしておいしい令和のごはん革命』『家事は大変って気づきましたか?』など。

執筆者情報

阿古真理

作家・生活史研究家。1968年、兵庫県生まれ。食や暮らし、女性の生き方を中心に生活史と現在のトレンドを執筆する。主な著書に『日本の台所とキッチン 一〇〇年物語』(平凡社)、『大胆推理!ケンミン食のなぜ』・『家事は大変って気づきましたか?』(共に亜紀書房)、『ラクしておいしい令和のごはん革命』(主婦の友社)、『日本外食全史』(亜紀書房)、『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(幻冬舎)、『料理は女の義務ですか』・『小林カツ代と栗原はるみ』(共に新潮新書)など。

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