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インタビュー

片腕だけでお弁当作り!手脚3本を失った山田千紘さんが、料理をはじめたきっかけとは?

二十歳の頃、電車事故によって右手と両脚を失った山田千紘(やまだ ちひろ)さん。その事故から10年。山田さんは、残された片腕で様々なことに挑戦する姿を自身のYouTubeチャンネル『山田千紘 ちーチャンネル』で配信しています。チャンネル登録者数は13万人を超え、多くの人が山田さんの日々の挑戦を応援しています。今回は、YouTubeチャンネルでも配信している“料理”についてのお話を聞きました。

親の”心配”を”安心”に変えるために料理をはじめた

――山田さんがお料理をはじめたきっかけを教えてください。

僕は二十歳のときに交通事故で両脚と右腕を失いました。事故の直後は絶望感でいっぱいでしたが、わりと早い段階で「自立する」という目標を持ち前を向くことができたんです。この時目標にした僕の「自立」は、義足をつけて歩くことと、一人暮らしをすることの2つを意味していました。

――いろいろと不自由な状況の中で、あえて一人暮らしをしようと思われたのはなぜでしょうか。

事故の前、僕は実家暮らしをしていました。恥ずかしながら、両手があるときに僕は掃除、洗濯、料理どれもしたことがなかったんです。事故後、誰もがこの体では実家暮らしをしていくだろうと思っていたと思うけど、僕はできないと思われることが苦手なんです。だから、自分の足で働きに行き、そうして稼いだお金で家を借りて掃除、洗濯、料理を自分の力でやって生活をする。それを目標にして前を向く力にしました。

――その一人暮らしが、お料理をはじめるきっかけになったのですね。

一人暮らしをすることになって、親が一番心配をしたのが料理だったんです。僕は、親を心配させるために一人暮らしをしたわけではなくて、安心させるために自立をすると決めていたので、その一番の心配を安心に変えるためにも料理をはじめることにしたんです。包丁は調理実習でしか持ったことがなかったし、作ったことがあるのはカップ麺というレベルからのスタートでした。

――全く料理の経験がない中で、どのように料理を覚えたのでしょうか。

インタビューを受けているから言うわけではなく(笑)、本当に「クックパッド」を見て料理を覚えました。僕はなんでも形から入るタイプなんですが、料理をはじめようと思ったとき、一番身近なアプリがクックパッドだったのですぐにダウンロードしました。「この料理はこういう風にできているんだな」とか、「この調味料の組み合わせがこの味になるんだ」とか、いろいろ気づきがありました。

両手でも割ったことがなかった卵割りに苦戦

――クックパッドがお役に立てたようでうれしいです(笑)。山田さんが初めて作った料理はなんでしたか?

これは料理と言っていいのかわからないけど、初めて作ったのは冷凍食品を詰め込んだお弁当です。本当にすべてが初めてだらけだったので、やってるぞ!感を出すというか(笑)。ごはんを炊いたことすらなかった僕にとっては、大きな前進でした。料理ということで言えば卵料理です。卵を割る、混ぜることからスタートしました。

残った右腕でおさえながら器用にミニトマトをカット

――山田さんの得意料理を教えてください。

卵焼きです。今は在宅勤務が増えたのでお弁当作りの回数も減りましたが、以前は週5日作っていて、卵焼きは必ず入れていたんです。僕の作る卵焼きは卵を3つ使います。1本の卵焼きはお弁当2回分。日曜に2本の卵焼きを焼いて4日分を作っておきます。味付けは、砂糖多めの甘いものが好きですが、白だしを使った和風のものや、ほうれん草やネギを入れたもの、明太チューブとチーズを入れたものなど味にバリエーションを出して楽しんでいます。

――卵焼きを作るときの工程で難しかったり、大変だったりすることはなんですか?

最初に苦戦したのは卵を割ることです。両手で割った経験もなかったのに、いきなり左手だけで卵を割ってみたら殻がたくさん入ったり、ぐしゃっとなってしまったり大変でした。練習のために卵を3パック買い置きしていたこともあります(笑)。今では殻を使って黄身と白身を分けることも得意です。

――それは両手でも難しいワザなのですごいですね!

僕、かっこつけなんです。昔、速水もこみちさんが、「モテたいから料理をはじめました」と話していたのを聞いて、あのポテンシャルがありながらモテるために料理をはじめたなんて、僕はもっともっと努力をしなくちゃいけないと思ったんです(笑)。片腕になっても、男性としてモテたいですしね!

普段、料理の際は車椅子を使うが、この日は初めて義足でチャレンジ

料理は“誰かのため”に作ると進歩する

――お弁当作りは大変という声をよく聞きます。山田さんが週5のお弁当作りを続けてこられた秘訣はなんですか?

僕は、作ったお弁当の写真を母に毎日送っていました。見て褒めてもらうことがモチベーションになっていたからです。最初は僕がお弁当を作ること自体をすごく褒めてくれていたけど、だんだん「また同じ中身だね」とか「色合いを考えたら?」と言われるようになって。ミニトマトを入れてみたり、同じように見えない工夫をしたりしました。褒めてもらって満足するだけじゃなく、「なにくそ!」という気持ちも続けるパワーになっていたのかもしれません。

――料理をするようになったことで、山田さん自身にどんな変化がありましたか?

率直に、「料理を作るって大変だな」と思いました。毎日、違う食事を作ってくれていた親もそうだし、飲食店で出てくる料理だって当たり前に食べていたけれど、作るのは大変なんだなと。作るようになったからこそ、作ってくれる人への感謝の気持ちが増しました。そして、自分で作った料理を「おいしい」と言ってもらえるってすごい喜びなんだなということを知りました。それ以外にも、SNSで発信して見てもらうことなど、料理って“誰かのため”に作ると進歩していくし、モチベーションが上がるんだと思います。

――“誰かのため”に作るときはどんなことを意識しますか?

誰かに作るときは、自分好みの味ではなく相手が好きな味にしたいなと思います。みそ汁ひとつにしても、家によって使っている味噌が違うし、卵焼きだって甘いのが好きとかいろいろ好みがあるじゃないですか。だから、作る前に、何が好みかを聞くのは大事なのかなと。相手においしいと思ってもらえるかが、すごく気になるんです。もし口に合わなかったら、もっとこうしてほしいと言ってもらえたら嬉しいですし、言わないことが正義じゃないと思うんです。違うと思ったらそれを伝えたらいいし、お互いがすりあわせていくことが大事だと思っています。

――そこまで考えて料理を作ってもらえる人は幸せだと思います。

作ってもらったごはんを食べて終わり、というのは作業みたいになりますよね。この先、僕が結婚をしたら、奥さんが僕のために料理を作ってくれたり、僕が作ったりすると思うんですけど、そういうときはお互いの好みの味を合わせていくと思います。そうするのは、当たり前が当たり前じゃくなることを知っているから。みんなにとっての当たり前が僕にとっては当たり前じゃないから、1つ1つのことに「ありがとう」という気持ちが溢れてくるんです。

片腕1本だけど、されど片腕1本!

――YouTubeでお料理配信をすることになったきっかけは?

5年前からインスタグラムをはじめて、毎日のお弁当を載せていました。その中で、僕の一人暮らしの日常も併せて投稿してみたらたくさんの反響があったんです。手脚がないお子さんを持つ親御さんからのフォローも多くいただき、「こういう強さを持った子どもに育てたい」とDMをいただいたこともがあります。僕の日常を発信することで、救われたり勇気が持てたという方が一人でもいるなら、もっとちゃんと発信をしたいと思い、より多くの方に見てもらえるツールとしてYouTubeを選びました。

――初めての料理動画にはどのような反響がありましたか?

想像以上の反響がありました。もともとインスタグラムを見てくれていた方たちが登録をしてくれたので、初日からチャンネル登録者数が1,000人を超えて。YouTubeで初めて僕を知った方たちは、片腕で車椅子に乗って料理をする様子を見て驚いていました。僕にとっては日常だけど、「勇気をもらえた」とか、「仕事がイヤだと思っていたけど頑張ってみる」などポジティブな意見をたくさんいただけてうれしかったです。お弁当作りもそうですが、見ていてくれる人がいて、コメントをいただけたりすることが僕のモチベーションになっています。

――山田さんは、お料理以外にもいろいろなことに挑戦されていますが、これから挑戦してみたいことはなんですか?

まだやっていないことを考えたときに、海に潜ることと山に登ることの2つが浮かんだので、この2つに挑戦する予定です。この夏、沖縄の海に潜る予定です。山登りはたくさんの方の協力が必要になります。どんな義足を選ぶかもメーカーさんと話していかなくてはいけないので、まずは体力作りをするところからです。今年の秋に筑波山に登ることを目標にしていて、最終目標は富士山。これは5年以内の目標としているけど、僕の中では来年の夏には登れているんじゃないかなと(笑)。

――山田さんのポジティブさ、アクティブさに多くの人たちが元気をもらっていると思います。山田さんのパワーの源になっているものはなんですか?

生かされている、という気持ちが強いんです。ケガをして今年で10年。先日、そのときに運ばれた病院で講演会をさせてもらいました。すごく異例なことらしいのですが、関係者100人ほどの方が僕を招いてくださいました。

もしかしたら、僕の人生はあの二十歳の事故で終わっていたかもしれない。でも、病院のみなさんの必死の治療のおかげで、僕は今、こうして生きています。片腕1本だけど、されど1本。この残された1本の腕をどう活かして生きていくかは自分次第だと思っています。僕はこの腕1本を活かして、まだまだいろんなことにチャレンジしていきたい。その気持ちがパワーになっているんだと思います。

(TEXT:上原かほり)

山田千紘さん

1991年9月22日生まれ。二十歳の時、会社から帰宅途中に電車にひかれ利き手と両脚を失う。一時は絶望を味わうも、「仲間と共に生きる」ことを目標に生きることを決意。医師から1〜1年半はかかると言われた義足歩行のリハビリを驚異的なスピードの半年でクリア。退院3ヶ月後には車の免許を取得。その後、職業訓練を経て就職活動を開始し、一人暮らしもスタート。現在は一般採用で航空関連会社に勤務している。

持ち前のポジティブで明るい性格と、「1人でも多くの人を勇気づけたい」という思いでSNSを発信。Youtubeでは片手で料理する様子やモーニングルーティンなどを配信し、2022年8月時点のチャンネル登録者数は13万人超。著書に線路は続くよどこまでもがある。

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