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コラム

「コロナ禍の2020年はカレーに救われた最高の1年だった」ベーシスト・キッチン前田さんが語る“音楽とカレー”

【カレーヘッド列伝 vol.3】スパイスを楽しみ、カレーをこよなく愛する人たちがいる。ほぼ一年中カレーを家で作り、もちろん外でも食べ、「今度はこのスパイスで〇〇を作りたい!」と日々レシピ探求に余念がない。この連載では、そんなスパイス至上主義で生きる、カレーのことで頭がいっぱいな「カレーヘッド」たちの熱い思いにフォーカス! とびっきり個性的で楽しく、スパイスのように刺激的な彼ら・彼女らの日々を垣間見てみましょう。

【今回のカレーヘッド】 ベーシスト・キッチン前田さん

今回のカレーヘッドのキッチン前田さんこと前田竜希さんは、れっきとしたプロのミュージシャン。音楽家としての活動と並行して、オリジナルのカレー、スパイス料理をイベントやカフェで提供。「ベースとカレー」を「ごはんと味噌汁」に例え、どちらも自身のアーティスト活動にとってかけがえのないものだと語ります。

「ベース演奏=カレー作り」という、キッチン前田さんならではの独自のカレー活動と世界観について伺いました。

キッチン前田さん

前田竜希。1988年生まれ。千葉県出身。音楽家・ベーシスト。音楽専門学校に在籍していた学生時代より、プロベーシストとしてのキャリアをスタートさせる。様々なジャンルのアーティストのライブ、レコーディング、劇伴等に参加。2013年には自身のバンド『ALL CITY STEPPERS』でメジャーデビュー。国内外でソロベースでのツアーも行う。「自炊をこじらせたベーシストのカレー屋」のハンドルネーム”キッチン前田”として、東京中心に全国あちらこちらで出店、間借り、ケータリングなどをしている。
【twitter】前田竜希 -Ryuki Maeda-  キッチン前田

おうちカレーからカレー沼へ

中学生の頃からベースの世界にどっぷりと漬かっていた。一方、好きな食べ物は?との質問には、「カレー」と即答する、おうちカレーが大好きな少年でもあった。

「お母さんの作る、ルーを使った欧風カレーが特においしくて、すごく好きでしたね」

地元の千葉県市川市にはエスニック街があり、近くの葛西にはインド人居住エリアもある。前田少年は近所にある、一種独特な異彩を放つ怪しい雰囲気のレストランが小さい頃から気になっていた。

「いつかあのお店の中に入ってみたい」

18歳になって、いつもおいしいカレーを作ってくれるお母さんを誘ってそこを訪問することに。

「インドの大衆料理屋さんの雰囲気で、流れている音楽も独特でした。ナンもカレーもおいしかった」

その時のカルチャーショックを今でも覚えている。そこは知る人ぞ知る、本格的パキスタンインド料理を味わえる『ティッカハウス』だった。

高校卒業後に通った音楽専門学校がある高田馬場には、“リトルヤンゴン”と呼ばれるミャンマー料理を提供するレストランがある界隈や、インネパ系(インドやネパールの系統)食堂も多く、前田さんはエスニックな食堂に頻繁に足を運ぶようになっていた。

そんなある日、カレーとの衝撃的な出会いが訪れる。

音楽学校のベースコースの講師がやっているバンドの企画ライブに、前田さんのバンドがオープニングアクトとして出演することになった。その講師のバンドには、普段は接することのないヴォーカルコースの講師、AKINO LEEさんがいた。

AKINO LEEさんは、ステージ上で得意のヌンチャクを華麗に振り回していた。

「何なんだこの人は⁉︎」と興味津々、mixiのマイミクでつながってみると、なんと毎日カレーを食べ続けているではないか。しかも、どれも気になるお店のカレーばかりだ。

AKINO LEEさんは“カレーおじさん\(^o^)/”として13年間カレーを毎日食べ続け、食べログやTV出演など多数、カレーマニア界ではカレー生き字引として知られている人だったのだ。

「このお店、行ってみたい! 食べてみたい!」 と、AKINO LEEさんの情報を頼りにカレーを次々と食べに行った。気がつけばカレーの虜に。カレー好きをやっと実感できた、とうれしそうに言う。

「カレーおじさん\(^o^)/が僕をカレー沼に連れ込んだんですよ(笑)」

『ベースマガジン』誌のポートレートページに「カレーなるベーシスト」として紹介された。よく行く東京新宿・新大久保の一角にあるイスラム横丁にて(撮影:佐藤哲郎)

「カレー」がベース一辺倒の自分の武器に

在校中からプロのベーシストとして活動し、ポップス、ロック、ジャズ、ブラックミュージック、ヒップホップ、ポストクラシカルなど、さまざまなジャンルの音楽と関わった。

自身のバンドも結成し、27歳を迎えた際に開催した「生誕祭」では、全出演アーティストのバックでベースを演奏し、持てる音楽要素のすべてを一晩に詰め込んだオールナイトイベントを敢行した。

その「生誕祭」では、自分の引き出しをすべて出そうと思っていた。ちょうどその頃、「自炊をこじらせたベーシスト」としてSNSで自前の料理をアップしていたこともあり、「そうだ、フードも出そう!」と思い立つ。チキンカレー、豚の角煮、アヒージョなど、3〜4種の料理を演奏前にお客さんに振る舞うことにした。

そんな経験を経て、カレーを作る音楽イベントの主催も徐々に増えていった。 22歳の時、当時のマネージャーに「ベースのほかにもう一つ、何か武器になるようなものがあるといい」と言われた。その言葉がずっと引っかかっていた。

ベース一辺倒で強みになる趣味も何もなかった自分にとって、「カレー」は新たな武器に感じた。背中を押してくれた、一言だった。

「ベースとカレー」は「ごはんと味噌汁」

カレーを食べ歩くうちに自然とスパイスへの興味が募っていく。実際にスパイスからカレーを作り始めてみると、ベースと不思議とリンクしていることに気づいた。

「ベースとカレーは、僕にとってごはんと味噌汁のようなものなんです」

ベースもカレーも、どちらも同じく自分にとって「これさえあれば」と思える大切な“相方”。ベースをプレイしている時も、カレーを作っている時も、同じ感覚を持つ。どちらも自分を表現している。切っても切り離せない、と思った。

「ベーシストは、ゆくゆく音楽プロデューサーへ転換していく人が多い」 という。それはある種の能力があるからだ。楽曲のトップメロディーから中盤のハーモニー、根底に流れるリズムの仕組みなど、各々の要素を俯瞰的に見る能力に長けているのがベーシストだそう。カレー作りにも同様の能力が活かされる。

「カレーを音楽のアンサンブルに例えるなら、ヴォーカルが肉や魚といったメインの具材、ドラム&ベースのようなリズム隊が玉ねぎ、にんにくとしょうが、オイルで、ギターやピアノ、ストリングスといったハーモニーを担う楽器がスパイスっていうイメージですね」

前田さんの作るカレーは、確かにスパイスが主役ではない。

あくまでも具材そのものの“らしさ”を引き出しながら、すべてが調和して1つのカタチになるよう、ベーシストならではのスパイスの使い方をしている感がある。食べ終えると、いいライブ演奏を聞いた後のような高揚感が、スパイスのマジックと共に残る。

ベースとカレー、そのどちらも五感を刺激し、カラダ全体で味わえる喜びがある。味わうとカタチはなくなってしまう。けれどライブ演奏やカレーを食べたその記憶は残り、いつでも思い出せる。

ベースをお玉に持ち替えて、カレーを作る前田キッチンさん

スパイスへのこだわり

スパイスにも独自のこだわりがある。パウダースパイスのほとんどは、自分でミルで挽いた自家製パウダーを用意し、市販のパウダーと使い分けているという。クミンにいたっては、シードをそのまま挽いたパウダーと、フライパンで炒ってから挽いたローステッドパウダーの2種類を使い分ける。

そんな前田さんが特に気に入っているスパイスは、「コリアンダー」だそうだ。

コリアンダーといえば、筆者はコリアンダーパウダーをうっかり切らした時、理科の実験で使う乳鉢を使ってシードからパウダーを作ってみたところ、やたら時間がかかって難儀した苦い経験を思い出す。

コリアンダーパウダーは爽やかな甘さがほのかにあって、炒め物やドレッシングを作る時にパパッと振っている。香菜類と相性が良く、春菊に塩胡椒、オリーブオイル、にんにく、ヨーグルト、レモン汁とコリアンダーパウダーを入れたドレッシングを合わせた「春菊サラダ」は特によく作る一品だ。

「コリアンダーパウダーって、ベーシストっぽいと思うんですよね」

そう語る前田さんは、コリアンダーパウダーを「スパイスを使うのに慣れていない人でも使いやすいスパイス」だと言う。

「味見して、何かバランス悪いなという時にコリアンダーパウダーを入れると、ちょっと甘さも出て全体がまとまりやすいです。コリアンダー、ターメリック、チリの3つがあればカレーは作れてしまう」

自身は自家製パウダーと市販のパウダーは「全くの別物」とこだわる。自家製のものは、シードをミルで挽いているためシャープで主張が強い。バランサーとしての役割を果たす市販のパウダーと使い分けているのだ。

ニューヨーク、武道館などで敢行してきた「土下寝」をCookpadのオフィスでも披露してくれた

カレーに救われた

ミュージシャンには実は料理上手が多い。ツアーで全国を巡って各地のおいしいものを食する機会が多々あったり、飲食店でのアルバイト経験があったり、調理をすることを愉しめる素地を持つ人が少なくないのかもしれない。

前田さんは、大阪や福岡などのツアーの際、日程を調整してフリーの日をつくり、東京では味わえないものを食べに出かけるという。沖縄ではその多様な豚肉料理に驚き、九州では水・空気・食材を活かしたカレーを堪能する。

スパイスカレーの聖地・大阪には、前田さんにが「変態奇才」と呼ぶ“堕天使かっきー”さんがいる。TVでも紹介され、全国からファンが訪れる、行列必至の大人気間借りカレー店の主人である。

「堕天使かっきーさんに連れて行ってもらった地元の市場がすごかった。わっ、これは何だ⁈ 今すぐ買って料理したい! でもこの後ライブだし......ってなるんですよ(笑)」

「カレー名人と言われる人にはベーシストが多い」と前田さん。なんと、堕天使かっきーさんもベーシスト。ほかにも多々いるのだという。プロのベーシストとしての現場では冒険できるタイミングが限られているが、「カレーはまだまだ突拍子もない冒険もできる」からこそ研究にも余念がない。

2020年、所属事務所を独立してフリーランスとなったのも束の間、新型コロナ感染拡大の影響でベーシストとしての活動はほぼゼロに。十数年継続してきたアーティスト活動が初めてストップし、精神的に追い詰められた。

最悪のスタートとなってしまったかと思われたが、カレーだけは作り、探求し続け、たくさんの友人にテイクアウトやデリバリーをした。音楽の創作意欲をカレーに置き換えて満たすとともに、誰かに食べてもらうことで精神衛生も保つことができたという。

カレーイベントや自身の間借りカレーで積み重ねてきたものは確かだった。

友人からのカレーの注文依頼が増え、自宅冷蔵庫のキャパシティーにも限界を感じ、初めてクラウドファンディングに挑戦。見事ビッグサクセスさせ、巨大な冷蔵庫を購入した。

また、自身の演奏動画とレシピ映像を合わせたレシピミュージックビデオを製作し、YouTubeにアップする活動も始めた。昨年の夏頃からは週1回程度、渋谷にあるケニックカレーの厨房に入り、自身のオリジナルカレーも提供している。

「カレーに救われた。最高の1年だった」

フリーランス1年目が過ぎた今、そう思える。ライブはできなくなったが、カレーがあったおかげで自身のアーティスト活動は継続できた。カレーという受け皿の大きさから、交友関係や音楽の仕事の間口も一気に広がり、フリーランスで生きていく自信にもつながったという。

「コロナが落ち着いたら、インドにカレーとスパイス探究の旅に行く」と笑顔を見せる前田さん。そのカレーなるベーシスト人生はきっと力強く、これからも多くの人を魅了していくのだろう。

【今回のおすすめスパイス】 コリアンダー

コリアンダーは中華料理・タイ料理・インド料理・ベトナム料理・メキシコ料理・ポルトガル料理など広く用いられる。日本では江戸時代にポルトガルから伝わり、第2次世界大戦後にコリアンダーと呼ばれるように。一般的にはコリアンダーは種子を、パクチーは葉を表す意味として使われている。

コリアンダーのシード(種子)とパウダー

カレーに欠かせないだけでなく、ピクルスやマリネ、リキュールやビールの香りづけにも使われている。 ほのかな甘い香りがあるのでお菓子作りにも使えたり、いつもの料理の隠し味に使うなど、用途はさまざま。

味わいにまろやかな深みが出る、世界中で愛用されている万能なスパイスだ。

(TEXT:馬塲悠衣)

馬塲 悠衣

東京都出身。立教大学文学部ドイツ文学科卒業。Switch, GEO日本版, 別冊太陽臨時増刊CLass Xなどの雑誌編集を経て、現在レシピ本の出版業務に携わっている。20代の頃、インド料理を学んだレヌ・アヌラさんの「スパイスはおくすり」との至言から、スパイスへ興味をもつ。スパイス好きがこうじて、5年間のニューメキシコ通いを経て、メキシコで唐辛子遊学を1年間したが、インドには行ったことがない。スパイスとハーブを使った、体がよろこぶような滋味感のあるカレー作りを、日々妄想模索中。2019年、第二回アマチュアカレーグランプリ準グランプリ受賞

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