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コラム

用意していた非常食は役に立たなかった…能登半島地震・被災者に聞く避難時の食生活

2024年、元旦に起きた能登半島地震。石川県能登地方を震源とする震度7の地震は、新しい1年がスタートしたばかりの私たちに大きな衝撃を与えました。今回は、石川県七尾市在住のクックパッドアンバサダー「悠美姉さん」こと柿島悠美さんに、当日のお話や現在の避難生活についてお話を聞きました。

炊き立てのごはんをアイラップに詰めて避難

――大変なときに、お話を聞かせていただきありがとうございます。柿島さんは、普段はどのような活動をされていますか?

私は、石川県七尾市に住んでいます。小学生の3人の子どもたちに、能登で採れる旬の食材を使った料理を食べさせてあげたいという思いから、食に関することに携わっています。クックパッドアンバサダーとしての活動は1年目。昨年は、発酵食エキスパートの資格も取り、麹調味料など馴染みのないものを若い人たちに伝えていけるような活動をしています。

――能登半島地震が起きたときは、七尾市にいらっしゃったのでしょうか。

近所の神社に家族で初詣に行った後、私は自宅に戻り、夫と子どもたちは駅前にある商業施設に散歩がてら買い物に行きました。私はクックパッドにのせる新しいレシピを考えようと思い、ごはんを炊いていたときに緊急地震速報が鳴りました。大きな地震が来るということで身構えたのですが、最初の揺れはそこまで大きくなかったので安心した矢先、2回目の地震が起きて、その揺れがすごかったんです。

画像:駅前の様子(柿島さん提供)

――地震がきたときに、ご家族と別行動をされていたのは不安でしたね。

夫と子どもが出かけていた場所が海の近くだったので、電話をしてすぐに迎えにいきました。大津波警報が出ていて、町内放送でも避難するように流れたので、そのまま高台のほうに避難しました。

――朝まで高台に避難されていたんですか?

高台でそのまま一晩過ごそうというと思っていたのですが、夜に一旦自宅に荷物を取りに戻りました。寒かったので、毛布などを車にのせたあと、手にアイラップをつけ、そのまま炊飯器で炊いたご飯に手をつっこみ、いくつかご飯をアイラップにいれました。家には10分ほどの滞在で、とにかく早く高台に戻りました。

避難時こそ温かくておいしいごはんを

――炊いていたごはんをアイラップに!お子さんたちもお腹が空きますもんね。

子どもたちに好きなふりかけを選んでもらい、車の中でおにぎりにしました。避難中でしたが、温かいおにぎりが食べられたことに子どもたちがすごく満足していました。翌朝、車での移動中にコンビニを見つけて、からあげと肉まんを買いました。それも子どもたちがすごく喜んでいて、非常時でも温かい食べ物があると安心するものだなぁと感じました。

画像はイメージです

――ご自宅やご近所の被害状況はどのような状態なのでしょうか。

能登は、歴史的建造物が多い街並みなのですが、その多くが倒壊しています。神社の鳥居が倒れているところもあります。そんな中、自宅は、瓦がずれて雨水で雨漏りするくらいの被害で済んでいます。同じ町内でも倒壊した家もあるので、被害はさまざまです。タイルが割れたりもしていましたが、耐震つっぱり棒を設置していたおかげで我が家は食器棚なども倒れることなく、そのままの状態で保たれていました。七尾市のインフラは、ガスと電気は大丈夫な場所が多かったのですが、水道は止まってしまいました。今のところ、復旧は4月以降予定とされており、2か月半ほど水が出ない可能性が高いと聞いています。

画像:市内の様子(柿島さん提供)

――水道の復旧には2ヶ月半もかかるんですね。

水が出ないとこんなにも大変なんだと驚きます。蛇口をひねって水が出るというすばらしさを改めて感じています。井戸水が出るところは、トイレやお風呂の生活用水として使っているみたいですが、飲み水には使えないので、水道復旧までは不便な生活が続きそうです。

――飲み水は足りていますか?

水が足りないということを早い段階からメディアが発信してくれていたおかげで、支援物資としてもかなり量があります。防災用品として置いていた方も多いようですが、それでもやはり支援物資としてお水を持って行かれる方も多いので、生活するうえでお水の重要性を感じます。

――支援物資の中で食事もまかなえていますか?

水が出ないため、水なしで食べられる支援物資が多いです。特におかゆや五目飯などごはん系のものが多いですね。温めなくても食べられるものや、5年保存がきくものなどいろいろな種類があります。

――実際に召し上がってみてどうでしたか?

災害時は、食べられること自体がありがたいことだとは思うのですが、子どもは苦手だったようで完食はできませんでした。 昨年、地元の食品企業の防災食アンバサダーとして防災について学びました。その時に「災害が起きたら、3日間は自分たちの家にあるものを使って食事をしよう。被災している時だからこそ、おいしいものを食べよう」というテーマで非常食として作られたおでんを食べました。それがすごくおいしかったんです。でも、避難所で配られたものは、「おいしい」と感じられるものではなかったので、実際に被災しないとわからないことがあるなと感じました。

――実際に避難生活で非常食を食べて感じたことは?

やはり、こんなときだからこそ、「おいしい!」と思えるものを食べさせてあげたいし、食べたいです。子どもが好きな味のものや、お年寄りには味つけが薄いものがあったら良いなと感じました。今はまだ水が出ないので難しいですが、水が使えるようになったら非常食のアレンジなども考えていきたいなと思っています。

自治体の公式SNS情報は必須

――今現在の食事に関しての悩みはやはり水が使えないことですか?

そうですね。我が家は、食べることには困ってはいませんが、洗い物ができないのが困ります。ママ友が、「子どもたちからカレーが食べたいと言われた」と言っていました。普段でも洗い物が大変なカレーを、今の生活で食べさせてあげるのは難しいよねと話していました。

あとは、栄養バランスの偏りも気になります。お肉や魚、生の野菜も手に入りますが、切った後に包丁やまな板を洗わないといけなかったり、野菜くずなどゴミが出たりすることを考えると、買うことをためらってしまいます。 水が使えない中で、便利な非常食はたくさんありますが、洗い物や栄養面での心配は今後さらに出てきそうです。

――今回の地震を経験されたことで、災害時の食の重要性や必要性についてどのように感じられましたか?

正直、能登半島にこれだけ大きな地震が来るとは想定していなかったのですが、起きてみたらどこにでも起きるんだということを実感しました。いざというときのために、非常食として役立つだろうと自分なりに備蓄を用意していましたが、その多くは役に立ちませんでした。 水やお湯を入れないと食べられない非常食は避難した車内では食べにくく、そのまま食べられる物をもっと用意しておけばよかったと思いました。

さらに、昨年に防災について学んだにも関わらず、備蓄していたパックおでんをすべて食べ切ってしまいローリングストックができていませんでした。これが本当に悔やまれます。

また、一口に「震災が起きた」と言っても、水が使えない、電気が通らないなど地域や状況によっても必要なものは全く変わってくるんだと痛感しました。いま一度、状況ごとにシュミレーションすることで防災意識を改めて、日々アップデートしていかないといけないと思っています。

画像:七尾市内の道路(柿島さん提供)

――今回の避難中に、便利だと感じたものや必要だなと感じたものはなんですか?

自治体の公式LINEで常に情報をチェックしています。支援物資の情報や、給水車、お風呂の情報などが全部わかります。ただ、この公式LINEをお年寄りは知らない方が多く、「なんでそんなに詳しいの?」と聞かれることもあります。避難時は、自治体からの情報が一番役立つので、こういった情報を常にチェックしておくことの重要性を感じました。

画像:自治体の公式情報(編集部撮影)

――水道の復旧までに2ヶ月半ということで、不便な生活が続くかと思います。大変だと思いますが、1日も早い復興を願っています。

ありがとうございます。地震の翌日、金沢方面に車を走らせていたら、反対車線に自衛隊や救急車両がすごい列をなして能登のほうに向かっていく方たちとすれ違ったんです。それを見て、涙が出ました。「能登を助けに行ってくれるんだよ」と話したら、6歳の子どもも泣いていたんです。

救助に対して、初動が遅いと言う声もありましたが、地震の翌日にあんなに多くの救助隊が能登に向かっていくのを見て、「本当にありがとうございます」という気持ちで胸がいっぱいになりました。確かに毎日大変ではありますが、能登のために動いてくださっている多くの方々に感謝の気持ちをもって日々を過ごしていきたいと思います。

(TEXT:山田かほり)

※被害状況や復興支援に関する情報は取材時(1月17日)のものです。

TOP画像および注釈のない画像提供:Adobe Stock

悠美姉さんプロフィール

3人の子どもを育てるワーキングママ
発酵食のレシピ開発で料理の今昔を繋げる

地元・能登に根付いた食に関する活動を行なっており、旬素材を⽣かして楽しめるレシピも得意。発酵⾷エキスパート1級を取得し、いしる(⿂醤)など能登の発酵⾷をもっと⾝近に楽しんでもらえる洋⾷アレンジなども⾏い、今と昔を繋げる料理を⽬指しています。

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