約30年続いた平成は、2019年の4月に終わりを迎えます。平成にあったさまざまな食のブームや事件を、昔懐かしいものから直近のものまで、作家・生活史研究家の阿古真理さん独自の視点で語っていただきます。
今回は、私自身の体験から話を始めたい。なぜなら今回選んだテーマ、ティラミスは、私が青春時代に体験したブームの食べものだからだ。
まず、バブル景気があった。「シティホテルでフランス料理を食べて、それから泊まるんだって」とカップルのクリスマスの過ごし方を噂で聞いたのは、1988(昭和63)年頃だった。それからイタリア料理がブームになり、1989(平成元)年頃には、「イタ飯」という言葉で呼ばれるようになる。
私が実際にイタ飯をごちそうになり、話題のティラミスをデザートとしていただいたのは1990年の初夏だった。大阪のオフィス街、堂島で新聞記者を務める先輩から、マスコミ業界について聞いていた。私は、就職活動中の大学生だった。
「これが噂のティラミス!」。濃厚なチーズクリームの味、コーヒーの香りとのコンビネーションは感動的で、「こんなケーキ初めて食べた」と驚いたものだった。先輩から何を聞き、メインディッシュに何を食べたかはさっぱり覚えていないが、光が射し込む2階の明るいテーブル席で、白い大きなディナー皿に盛られた茶色とクリーム色の層をなすティラミスは忘れられない。今だったらカメラを出して撮るところだ。
振り返ると、20歳そこそこの私も巻き込まれたティラミスブームは、日本人の味覚が変わるターニングポイントだったと思う。流行ったのが平成になった直後の1990年前後というのも象徴的だ。ここから食はファッションのごとくトレンドの対象となり、人々の好みも和食から離れていく。
それまで日本人にとってのケーキといえば、イチゴショートに代表されるフワフワのシンプルな生地のスポンジケーキだった。今もスポンジケーキは人気だが、定番のモンブランはスポンジをほとんど使わないクリーム中心のフランススタイルのものに置き換わった。
ムースをたっぷり使った濃厚なケーキや、クッキー生地やパイ生地を敷いたサクサクの食感を楽しめるケーキもある。そういう複雑な味と食感を楽しむケーキが人気になる導入が、クリーム生地が主体のティラミスだったのである。
油脂をたっぷり含んだその濃厚な味も、従来のケーキから遠かった。その後、ナタデココ、エッグタルトやカヌレ、ベルギーワッフル、マカロンなど味も食感も多彩なスイーツが次々の話題の中心となり、ブームとなる。1990年代~2000年代初頭にかけてのブームを列挙するだけで、日本人が未経験の味や食感を求めるようになったことがわかる。
ところでティラミスは、首都圏情報誌の『Hanako』(マガジンハウス)が1990年4月12日号で、『週刊女性自身』(光文社)が同年4月17日号で特集したことでブームに火がついた。背景には、乳業メーカーや油脂メーカーが洋菓子店にレシピを提供し、商社が材料のマスカルポーネチーズの輸入量をふやしたこともあると、『ケーキの世界』(村山なおこ/集英社新書)にある。
あの頃、ブームに便乗するように、さまざまなメーカーがティラミス味の商品を出していた。私が覚えているのは、柳葉敏郎がCMに出演したティラミスチョコぐらいだが、ほかの商品については、『Hanako』1991年5月23日号が「“ティラミスがブーム”になった理由」で紹介している。チョコレート、パン、シュークリーム、蒸しケーキ、アイスクリーム、キャンディなどのスイーツだけでなく、ハム、スープなどの食事メニューまであったそうだ。
この便乗商品が花盛りのさまは、2016年のパクチーブームを彷彿とさせる。あれから30年経ったが、流行に踊るのが大好きな日本人の感性は、それほど変わっていないのかもしれない。