【今日はお寺ごはんで一汁一菜 Vol.10】料理僧・青江覚峰(あおえ かくほう)さんが提案するのは、誰でも簡単に作れる「一汁一菜のお寺ごはん」。実際にお坊さんたちが食べている、肉や魚を使わない一工夫あるレシピを教えていただきました。からだと心がほっとゆるむ、優しい味わいのお料理ですよ。
今回使う食材は「アボカド」。しばしば「アボガド」と誤記されたり言い間違えられたりしますが、アボガドは「弁護士」を指すスペイン語なのです。日本語では些細な間違いですが、国が変わると全く違う意味になってしまいます。
似たようなことは、私にも覚えがあります。
例えば浄土真宗を開いた親鸞聖人の「聖人」は「しょうにん」と読みますが、一般的には「せいじん」と読まれるのが普通です。仏教のプロとして、正しい読み方、使い方をきちんとお伝えしなくてはいけないなと思っています。一方で、普通は「せいじん」と読むのであって、「しょうにん」と読むほうが特殊なのだということも心得ておかなければと思います。自分のやり方にこだわりそれを押し付けるばかりでは、相手に心を開いて聞いてもらうことはできません。
先ほどのアボカドの例も同じで、アボカドと言おうがアボガドと言おうが、たいていの場合は前後の文脈でそれが食べ物のアボカドのことを言っているのだということはわかります。いちいち「それは間違っているよ。正しくはアボカドと言うのだよ」と訂正して話の腰を折るのも野暮というもの。案外、「なんとなく」でも話の本筋に大きな影響はないものです。
そうは言っても、こと料理関しては「なんとなく」では不便なことが多々あります。
例えば「じゃがいも(中サイズ)」といった表記をよく目にすることがあります。中サイズとは実に曖昧な表現です。レシピの本などでは、それが70gから120g程度と書かれているものもありますが、それでも70と120では1.7倍以上の差があります。
さらに、「中サイズのじゃがいもをひたひたの水に入れて中火で15分煮る」とあっても、水道から出てきたときの水の温度、鍋の大きさ、ちょっとした火の強弱で、15分後の火の通り具合は必ずしも一定ではありません。
ところが、実際に料理をすると、そういった曖昧な表記からでも案外それなりのものが出来上がるものです。
言葉も料理も同じで、大切なのは対象をよく観察するということです。相手が人でも食べ物でも同じ。相手の表情はどうか、声の調子はどうか。水は足りているか、鍋肌にふつふつと気泡がついてきているか。目で見て、耳で聞き、必要があれば手で触れて温度や手触りを確かめる。そうすることで、曖昧さの中からでもポイントを見極め、会話や料理を成り立たせることができるのです。
なす…2本
アボカド…1/2個
レモン果汁…小さじ2
塩…少々
醤油…大さじ1
昆布出汁…大さじ1
プチトマト(お好みで)…適量
1.なすの皮に10本ほど縦に薄く包丁で切込みを入れる。
2.グリルで周りの皮が焦げるまで焼き、皮を剥く。
3.アボカドをボウルに入れ、スプーンの背で丁寧に潰し、レモン汁、塩と合わせる。
4.醤油と昆布出汁を合わせ、2にさっと和え、3をかける。好みで切ったプチトマトを添える。
<ワンポイント>
皮を剥く時は下手の方から剥くと剥きやすいです。
オクラ…4本
長芋…60g
昆布出汁…200ml
塩…ひとつまみ
1.オクラを塩ずり(分量外)し、熱湯で2分ほど茹で、すぐに氷水にとっておく。
2.長芋をすり、ヘタを取った1と昆布出汁、塩とともにミキサーにかける。
3.冷蔵庫で冷やして盛り付ける。
1977年東京生まれ。浄土真宗東本願寺派 湯島山緑泉寺住職。米国カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。ブラインドレストラン「暗闇ごはん」代表。超宗派の僧侶によるウェブサイト「彼岸寺」創設メンバー。
ユニット「料理僧三人衆」の一人として講演会「ダライ・ラマ法王と若手宗教者100人の対話」などで料理をふるまう。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『ほとけごはん』(中公新書ラクレ)、『お寺のおいしい精進ごはん』(宝島社)など。
【公式HP】https://www.ryokusenji.net/kaku/