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コラム

「カレーで鳥肌が2回立った」カレー研究家・水野仁輔さんが体験した衝撃のエピソードとは…

クックパッドニュース編集部

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クックパッドのポッドキャスト番組「ぼくらはみんな食べている」。食や料理に熱い思いを持ち活躍するゲストを迎え、さまざまな話を語ります。クックパッド初代編集長の小竹貴子がパーソナリティを務めます。第7回目・8回目のゲストは、カレー研究家の水野仁輔さんです。

名店「ボンベイ」の虜になった青春時代

小竹:まずは、水野さんとカレーとの出会いを教えてください。

水野さん(以下、敬称略):カレーとの出会いの前に、「ボンベイ」というお店との出会いがあります。僕は静岡県浜松市で生まれたのですが、小学校1年生のときにボンベイというインド料理店が浜松にできたんです。

小竹:カレーだけのお店ですか?

水野:インド料理店、インドカレー店ですね。ボンベイとの出会いは小学校1年生のときですが、僕がカレーを好きになったのは高校を卒業した18歳のときなんです。

小竹:そこまで結構ありますね。

水野:そう。この12年間は一体何なのかというと、ボンベイは好きだけどカレーはそうでもないという時期なんです。

小竹:家で出るカレーとかも?

水野:普通に好きだけど、ほかの小学生たちと変わらない程度ですね。学校の給食もカレーが出たら食べるけど、喜んだりしていたわけではなかった。

小竹:うんうん。

水野:ボンベイができたときに家族で行ったのですが、インド料理だからスパイシーで辛くて、小学1年生には食べられないんです。ところが、うちの父親は典型的な昭和の父親で、「子どもは親が食べたいものを我慢して食べるべきだ」って考えなんです。

小竹:完全に昭和だ(笑)。

水野:そう。「インド料理だけど、子どもたちは大丈夫かな?」っていうマインドはない。だから、そのときは一番辛くないキーマみたいなものを食べたと思います。でも、いつの間にかハマっちゃって、小学校、中学校、高校とずっとボンベイに通いました。

小竹:1人でも?

水野:小学生のときは家族とですね。中学に入ると、土日になったら浜松駅の周辺にみんなで遊びに行くようになる。ゲームセンターとかCDショップとかに行って、1日中その街で遊ぶのですが、お昼になるとみんなハンバーガーショップとかちょっと安めのお店に行くんです。

小竹:お小遣い少ないですもんね。

水野:そう。僕はそのお昼の時間に1人で抜け出して、ボンベイに行っていました(笑)。

小竹:ちょっとませた子ですよね(笑)。

水野:でも、ほかの子のお昼の2~3倍の値段だから、みんながゲームをしているときは黙って見ていたり、CDを買いに行ってもみんなが買うのを見ていたりして、ボンベイにお金を使うという感じでしたね(笑)。

小竹:高校時代は?

水野:浜松の中心地に近い高校に行ったので、ボンベイに行き放題でした。学食があったり弁当があったりもするけど、僕は毎週水曜日はボンベイの日と決めていました。

小竹:決めていたのですね(笑)。

水野:高校のランチタイムだと、ボンベイまで自転車で行って食べて帰って来られないから、昼の1つ前の授業をサボるんです。

小竹:そこまで?

水野:そうするとゆっくりボンベイでランチができる。ただ、水曜日の政治経済の授業に出ていないから、僕だけ赤点でした。だから、いまだに僕は政治経済には疎いです(笑)。

小竹:ボンベイのせいで(笑)。

水野:とにかく青春がボンベイとともにあった。くすんだ赤い生地に黒のロゴマークでボンベイって書いてあるトレーナーをスタッフ全員が着ているのですが、それを着ているだけで、スタッフの女性とかをちょっと好きになっちゃう(笑)。

小竹:それくらい好きなのですね(笑)。いつも同じものを食べていたのですか?

水野:いろいろなものを食べていました。小さい頃はキーマで、途中からスピニッチマトンというほうれん草とマトンのカレーが好きになって、そこからセイロンカレーという一番辛いカレーが好きになりましたね。

上京して「ボンベイ」の代わりを探す日々

小竹:高校卒業後は上京をされたのですよね?

水野:はい。上京するときの最大の不安はボンベイが無いこと。ボンベイの無い生活は無理かもしれないと思っていました。

小竹:でも、それよりも東京を選んだのですね。

水野:さすがにそこでボンベイのある浜松を選ぶほど僕も…。でも、今そう言われて思ったけど、まだ僕のボンベイ愛は足りなかったかもしれない(笑)。

小竹:だって、トレーナーを着ている人を好きになるくらいでしょ(笑)。

水野:ボンベイの無い日々が耐えられなくて、代わりを見つけるために東京でカレー屋を食べ歩きしまくりました。なんか遠距離恋愛になった瞬間に代わりの女性を見つけるみたいで、あまりよくないですが…。

小竹:そうですね(笑)。

水野:でも、代わりになる店を見つけるか、自分でボンベイの味を作るか、どちらかしかないと思ったんです。それで両方やろうと思って、食べ歩きをしつつ、インド料理店でアルバイトを始めてシェフに作り方を習い始めました。

小竹:うんうん。

水野:両方やっているうちに、カレーってこんなにいろいろな味があるのかということに初めて気づきました。ここから僕はカレーファンになりました。

小竹:ボンベイのカレーのファンから、カレーファンになったのですね。

水野:18歳まではカレーファンではなくボンベイファンだったと言い切れる一番大きな理由として、浜松にはカレー専門店が当時いっぱいありましたが、僕はボンベイ以外は1つも行ったことがない。ボンベイじゃなきゃダメという一途な思いでした。

小竹:もう恋愛の話ですね。

水野:ところが東京に行って、こんなにカレーっていろいろな味があって面白くておいしいんだということに目覚めちゃって。

小竹:うんうん。

水野:そこからは自分で作るのが楽しいし、食べ歩きも自分の知らないお店の情報が入ってきただけで悔しくて、1週間以内に食べに行くみたいな感じで。

小竹:悔しいのですね。

水野:知らないカレー屋さんを聞いいたら行かないと気が済まない時代がありました。カレーという料理がすごくバラエティ豊かだということに衝撃は受けましたが、もう1つのボンベイの代わりを見つけたいという目的が簡単に達成していたら、あんなに食べ歩かなかったかもしれないです。

小竹:なるほど。

水野:ところが、どこをどう食べ歩いても、何軒食べ歩いても、「ボンベイが一番いい」となる。おいしいお店はたくさんあるけどボンベイには勝てない。「ボロ負けだ…」みたいな。

小竹:そんなに違うのですね。

水野:そんな中、浜松の高校の同級生から電話がきて、「ボンベイが閉店した」って…。かなりショックで、ひとまず実家の母親に電話をしたら両親も知らなかった。だから、「ボンベイは閉店しました。これで僕が浜松に帰る理由もなくなりました」と言いましたね。

“習慣的に食するもの”の大切さに気づいた瞬間

小竹:「ボンベイ」がなくなったショックはそこまで大きかったのですね。

水野:はい。だから、どうしてもボンベイの代わりを見つけなくてはと拍車がかかりました。そこで、白羽の矢を立てたのが上野の「デリー」というお店でした。

小竹:名店ですよね。

水野:カレー好きで知らない人はいないくらいの名店です。当時の僕は上から目線で、「俺にはボンベイがある。東京にはこれだけ店があるけど、ボンベイにはボロ負けじゃないか」みたいな気持ちでいて…。

小竹:うんうん。

水野:そんな中、デリーはおいしいと思って、ボンベイの代わりにするならここだと感じて、デリーに足繁く通っているうちにカレーの活動もいろいろとするようになりました。

小竹:なるほど。

水野:僕の好きな全国のカレー屋さん100軒の店主にインタビューをした『神様カレー』という本を出したのですが、閉店しちゃったけどボンベイの永田さんというオーナーシェフとデリーの田中社長のインタビューの両方を巻頭に載せたんです。

小竹:はいはい。

水野:田中社長に取材したときに、デリーは当時で50年近い歴史があったから、「長いことやっているから、うちで修行した人が全国各地に散らばってカレー屋さんをやっているんですよ」って言っていて。

小竹:うんうん。

水野:「僕は静岡出身なんですけど、静岡県内にはそういうお店はないですか?」と聞いたら、「浜松にボンベイってお店があって、そこの永田さんはうちにいた人だ」って。それを聞いてびっくりして、生まれて初めて全身に鳥肌が立ちました。

小竹:それはすごすぎますね。

水野:ボンベイの永田さんの修行先の師匠の店を「ここなら行ってやってもいいか」みたいな感じで僕は思っていたのかって…。でも、小さい頃に習慣的に食べていた味や嗅いでいた香りは、そのくらいの影響力を持つんだなと感じました。東京中を食べ歩いてここが一番だと思ったのが、修行した人の店だったんですから。

小竹:そうですよね。

水野:しかも、永田さんはデリーだけじゃなくて、日比谷の「マハラオ」というインド料理店にもいたし、その後にインドとパキスタンに旅をして帰ってきてミックスで作っているから、デリーそのままではないんです。

小竹:それでも気づいた。

水野:そうそう。そう考えると、習慣的に食するものは相当大事だなとあのとき感じましたね。

“カレーを作る”ことの楽しさに気づいた理由

小竹:でも、そこまでカレーを食べる人もなかなかいないですよね。

水野:同じようなことがもう1つあって、福岡に「タージ」というすごい名店があるんです。カレー好きなら知らない人がいない老舗のお店で、福岡に行く機会があったら行きたいとずっと思っていました。

小竹:はいはい。

水野:カレーの活動を始めて福岡のイベントに呼ばれたことがあって、そのときにタージに行きました。サグマトンというほうれん草と羊の肉のカレーを食べたのですが、一口食べた瞬間に「ボンベイのスピニッチマトンだ!」と思って。

小竹:つながった?

水野:全く同じ味で、一口目で動揺しちゃって。そのときにボンベイはもうなくて、店主の古賀さんに「僕は浜松出身でボンベイというお店のカレーを食べて育ったのですが、ここのサグマトンがボンベイのスピニッチマトンと同じ味がしました」と言ったんです。

福岡「Taj(タージ)」のサグマトン

小竹:うんうん。

水野:そしたら古賀さんが、「永田さんのところでしょ。僕は永田さんがボンベイを始めるときに、最初の1年手伝った。 デリー時代の後輩なんだ」って。

小竹:すごい!またつながったんですね。

水野:古賀さんもデリーにいて、デリーで働いているときに先輩に永田さんがいて、永田さんがデリーを辞めて浜松で自分のお店やるときに手伝っていて。だから、「うちのサグマトンはボンベイのスピニッチマトンなんですよ」って。それもまた鳥肌でね。

小竹:それは鳥肌ですよね。そこから自分でもカレーを作っているのですよね?

水野:作るのも相当ハマったのですが、ボンベイの味を作るというのはもう早々に諦めました。

小竹:さすがに難しい?

水野:難しいのもあるけど、スパイスでカレーを作る楽しさにハマっていって。家にもどんどんスパイスが増えていって、インド料理店のシェフに全体的な作り方は習ったけど、あとはオリジナルで好きなようにやっていくのが楽しくて。

小竹:なるほど。

水野:作ると食べさせたくなるから友達を呼んでカレーパーティーをやる。これは誰がやってもそうなのですが、評判がいいんです。カレーを囲んだパーティーは、味がどうこうよりとにかく楽しいから。

小竹:わかる気がします(笑)。

水野:ほかの料理はわかりませんが、カレーは大体みんなおいしいって言って盛り上がるから、調子に乗って何回もやるようになる。何回もやると、水野=カレーを作る人みたいになってきて、カレーの別の魅力に気づくんです。

小竹:うんうん。

水野:カレーがあると人が寄ってきて盛り上がるし、楽しい時間を過ごせる。「カレーはすごい」ということに大学時代に気づいて、そのままサラリーマンに一度なって、プライベートの時間は引き続きカレーの人。カレーパーティーのパーティーピーポーでしたよ。

“カリ~”を世の中に浸透させたかった…

小竹:社会人になってからは?

水野:社会人になると接する人の幅が広がるから、知らない人も僕のカレーを食べに来るみたいにイベント化していくんです。そういうことをやり始めたのが、「東京カリ~番長」というグループ結成のきっかけでした。

小竹:カレーじゃなくて、カリ~なんですよね。

水野:名前を考えるときに、「番長」と「東京」と「カレー」というエッセンスがバラバラに浮かんできて、これをくっつけようと思って、最初は「東京カレー番長」でした。

小竹:そうなんですね。

水野:だけど、当時の僕は血気盛んでやる気満々でしたので、「東京カリ~番長」の活動が活発になって盛り上がっていったら、10年後や20年後に世の中のカレーと呼ばれている固有名詞がカリ~に変わるんじゃないかと。

小竹:そんな意味が込められていたとは…。

水野:世の中のみんながカレーではなくカリ~を使い始めたときに、一旦自分の活動がゴールテープを切るという大きな夢があって、東京カリ~番長という特殊な名前をつけたんです。ところが、25年経ったけど一向に浸透していない(笑)。

小竹:いやいや(笑)。

水野:ついに最近は、我々が「カレー番長」って言い始めちゃっているくらいなので(笑)。日本のカレーカルチャーを変えようなんて無理でしたね。

小竹:すいませんみたいな感じですね(笑)。

水野:僕も50歳で大人になったので、今はもうそういう気持ちはないです。おこがましいにもほどがあります(笑)。

水野さんの著書とオリジナルのスパイスセット

(TEXT:山田周平)

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【ゲスト】

第7回・第8回(6月7日・21日配信) 水野 仁輔さん

カレー研究家/カレーの人/AIR SPICE代表/1999年、出張料理集団「東京カリ~番長」を結成し、カレー専門の出張料理人として全国各地で活動を開始。世界を旅するフィールドワークを通じて「カレーとはなにか?」を探求。「カレーの学校」の校長を務め、本格カレーのレシピつきスパイスセットを定期頒布するサービス「AIR SPICE」を運営中。カレーに関する著書は100冊以上。『水野仁輔 システムカレー学』『世界一ていねいなスパイスカレーの本』『スパイスハンターの世界カレー紀行』『ハーブカレー』など。

Instagram: @airspice_official

【パーソナリティ】 

クックパッド株式会社 小竹 貴子

クックパッド社員/初代編集長/料理愛好家。 趣味は料理🍳仕事も料理。著書『ちょっとの丸暗記で外食レベルのごはんになる』『時間があっても、ごはん作りはしんどい』(日経BP社)など。

X: @takakodeli
Instagram: @takakodeli

執筆者情報

クックパッドニュース編集部

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