90年代に流行した「ティラミス」、数年前に話題になった「おにぎらず」、直近では社会現象にもなった「タピオカ」など、日々生まれている食のトレンド。なぜブームになったのか、その理由を考えたことはありますか? 作家・生活史研究家の阿古真理さんに、その裏側を独自の視点で語っていただきました。
今回から、トレンドの「なぜ」を考える記事を連載する。初回に取り上げるのは、台湾料理ブーム。何しろ、最近あちこちに豆花(トウファ)・豆漿(トウジャン)専門店ができ、行列ができる店もある。台湾屋台料理店も人気。そして2019年に大ブームとなったタピオカも、ブランドの多くが台湾からやってきた。
思えば2010年代は、台湾ブームに明け暮れた10年間だった。私の周りにも台湾へ通うフリークが何人もいるし、私自身も3回行っている。渡航者数に関してはいろいろな統計があるが、日本旅行業協会の調査で2008年時点で台湾は、アメリカや中国、韓国、ハワイなどに続いて7番目の人気だったのが、2012年には5位に浮上している。そして、トラベルボイスの調査で2019年は2位にまで上がっている。
台湾料理が日本で人気なのは、台湾へ行ったことがある人たちが、なつかしがって店へ通うからかもしれない。またこの10年、テレビ番組もさんざん台湾の朝ご飯として豆花・豆漿を紹介してきたし、魯肉飯(ルーローハン)なども伝えてきた。行ったことがなくても、台湾の人気料理を食べてみたいと思う人がいるのではないだろうか。
きっかけは2000年頃、「哈日族(ハーリージュー)」という日本フリークの台湾人がたくさんいると伝わってきたことではないかと思う。
20世紀の日本では、残念ながらアジア人に対する差別があった。そして台湾は、日本が50年も統治してきた植民地という過去もあり、1972年の中国との国交回復に伴い、日台政府は断交している。複雑な歴史を持つ地域に、近寄りにくいイメージを持っていた人もいるだろう。
ところがその台湾で、日本のカルチャーが大好きな若者たちがいるとは。この頃はまだ、日本のアニメやマンガが世界中で愛されているなんて知らない人が大半だったから、哈日族の存在に驚いた人は多かったのではないだろうか?
熱烈な恋心を伝えられ、台湾に興味を持つ人が増えていった結果、10年後の台湾ブームにつながったのではないか。また、リーマンショック後にコンビニ、飲食店などが次々と日本から台湾へ進出。仕事で通い好きになった人たちもいるだろう。
私が初めて台北へ行った2010年代半ばには、日本発のコンビニやドラッグストアがたくさんあり、書店には日本の小説、写真集、レシピ本などがずらりと並んでいた。2019年に再訪した折、地下鉄中山駅前にできた誠品書店の日本の小説コーナーを見ると、中国のものより棚が多かった。そして、テレビにはNHKのチャンネルがある。
旅行に行くたびに、必ず1人は台湾人から「日本の人ですか!」と興奮して日本語で話しかけられる。それはまるで、西洋人と見ると興奮して英語を使いたがった、昭和の日本人のようだ。
アニメ・マンガの国として、親近感を持たれているのは分かる。日本人がアメリカに憧れたのは、ハリウッド映画の影響が大きかったからだ。では、日本の人たちはなぜ、台湾が大好きなのだろうか?
親日的だから行くと温かく歓迎されることは、もちろん大きい。国内旅行と変わらない2~3時間のフライトで着く近さもいい。日本文化の影響が大きいわけだから、親しみやすさもある。
日本語を話す人も多いし、向こうの言葉がわからなくても漢字で想像がつくこと、台北には地下鉄ができて便利なことも大きなポイントだ。
食べものについて言えば、まず日本人が長年親しんできた広東料理と少し違うことも発見だったと思われる。次に、おいしいものが多い。「台湾はご飯の外れがない!」という人もいるが、台北でも当たり外れはある。
ただ、東京の人が関西で感じる「おいしいものばかり」という感覚程度には、外れないように思う。つまり、全部ではないが町の普通の店が普通においしい、というレベル。グルメシティの東京では案外それが望めないことも、東京人の台湾の評価を上げているのではないだろうか。
もう一つ私が気づいたのは、台湾の外食に薄味のものが多いこと。東京では、印象的にするために強い味を出す店が目立つが、台北・台南では、塩を足したいぐらいの薄味スープに何度も出合った。
インパクトより、食べ飽きないことが大切にされている。それはもしかすると、朝昼晩と日常的に外食する人が多く、飲食店が家庭の食卓替わりになっているからかもしれない。
飽きない感じは、町にも通じる。すごく珍しい何か、というより、掘ってみると発見が多い町。台湾には、先住民に長く住み継いできた本省人、戦後やってきた外省人、と多様な人たちが共存している。そのうえ政治的な立場も厳しい。
そんな環境を生きる彼らから、日本人は包容力を感じて安心するのかもしれない。何しろ私たちは、日本で「正しい」生き方を求められるプレッシャーを受けながら暮らしているのだから。