作家・生活史研究家。食や食らし領域が専門。
90年代に流行した「ティラミス」、数年前に話題になった「おにぎらず」、直近では社会現象にもなった「タピオカ」など、日々生まれている食のトレンド。なぜブームになったのか、その理由を考えたことはありますか? 作家・生活史研究家の阿古真理さんに、その裏側を独自の視点で語っていただきました。
コロナ禍の今年、年末年始を家で家族と過ごした人は、多かったのではないか。例年とは違い、おせち作りをしたという人もいるだろう。
時短ブームの影響もあるのか、おせち作りは簡略化する傾向があるようだ。毎年12月号でおせち特集を組む『きょうの料理』でも、かんたんおせちと正統派おせちの2本立てで紹介することが多い。今回は、最近人気の「かんたんおせち」について書いてみたい。
私が子どもの頃、母のおせち作りは3日間に及んでいた。特に黒豆は味を浸透させるため、2日に渡って石油ストーブの上で煮ては夜に冷ます、という作業をくり返す。コンロを使わなかったのは、いくつも作業中の料理があるうえ、3度の食事の支度もあるので、2口しかないコンロは常にふさがっていたからだ。
ところが今はレシピが進化し、そんなに時間をかけなくても黒豆はできるらしい。例えば、『オレンジページ』2021年1月2日号は、「半日で作れる食べきりおせち」を特集。「和風おせち」の黒豆レシピでは、乾物の黒豆を1晩かけて戻す際、調味料を加えて一度煮立てた汁に入れる指示がある。あらかじめ味を染み込ませておくので、煮るのは1回で済む。
定番の煮しめは、一度夫の実家で手伝ったことがある。一度だけなのは、例年は夫の仕事が立て込む年末年始の帰省は難しいものの、その年は珍しく時間に余裕があったからだ。義母は、「煮物は、同じ出汁で色の薄いものから順番に煮ていくねんよ」と、サトイモを煮るところを手伝わせてくれた。その他、レンコン、ゴボウ、コンニャク、ニンジン、シイタケが入る。だから、6回煮る工程をくり返さないといけない。本来、煮える時間は素材ごとに違いがある。素材を活かすための調理に手間と時間をかけるのが、特別なときにしかごちそうを食べられなかった名残を残したおせち作りだった。
『オレンジページ』の特集に煮しめのレシピはなく、替わりに「祝いいり鶏」がある。その作り方は、フライパンを使い、野菜はいっぺんに加えて炒め煮するもの。日常のお惣菜のいり鶏と基本的な作り方は同じだ。しかし、最初に鶏肉だけ強めの中火で焼き目をつけるこのレシピは、おいしそうだ。「さっぱりと食べやすいのにこくがあるのは、煮汁に加えた酢が秘密」だと説明がある。
『きょうの料理』は、2019年と2020年のおせち特集で、手間と技術を要する重箱詰めをせず、皿盛りにするという提案をしている。ここ数年、皿盛りおせちも人気がある。
「おせちがこんなに変化して、伝統は守れるのか?」、と心配する人もいるだろう。しかし、『オレンジページ』もそうだが、雑誌は長年、アレンジレシピを提案してきた。洋風おせちも雑誌レシピの定番だ。戦前の『主婦之友』も、すでに和洋折衷おせちを紹介している。百貨店やレストランがつくるおせちにも、洋風・中華などのバリエーションがたくさんある。
それに、おせちを重箱に詰めるスタイルが定着したのは、近代に女性誌が誕生してからなのだ。『日本の食文化①食事と作法』(小川直之編、吉川弘文館)によると、おせちはもともと、正月に加え端午の節句や七夕などの五節供(ごせつく)に、神に供える飾り物の「蓬莱(ほうらい)」(京都・大坂)または「喰積(くいつみ)」(江戸)が源流にある。搗栗や干し柿、昆布、伊勢エビなどが使われていた。
江戸時代後半になると、供え物のおせちとは別に、組重(重箱詰め)が流行った。やがて組重は煮しめ、おせちは数の子、煮豆、昆布巻きなどを重箱に詰め、来客にすすめる料理になる。それが明治以降に、『婦人之友』などの女性誌が、正月料理をすべて重詰めにしておせちとし、それが風習として定着していったのである。
ところで、私自身はおせちをちゃんと作ったことがない。夫婦2人暮らしで、伝統を伝えるべき子どももいないし、私も夫も特におせちが好きではないからだ。自分で作ったら、自分で食べ切らなければならなくなる。
おせちが特に好きでないのは、冷めたものを食べなければならないうえ、味が濃厚で苦手だったこともある。高校生の折、きんとんと伊達巻を任された年がある。その際、渡されたレシピ本の材料を観て驚いた。「これはお菓子では?」と思われるほど、たっぷり砂糖が入っていたからだ。おせちは日持ちさせる必要があることから、昔のレシピは味付けが濃くできていた。また、砂糖をたっぷり使うのは、それが特別な贅沢だからでもあったのだろう。
一方、『オレンジページ』のかんたんおせちのいり鶏を、私がおいしそうと感じるのは、現代人の味覚に合わせた砂糖控えめの味付けだからである。今は冷蔵庫もあるから、昔ほど保存に気を使わなくてもよい、という合理的な判断がそこにはある。
時代とライフスタイルに合わせて、柔軟に変化させていくのが人々の知恵。レシピの変化とテイクアウトのおせちの隆盛は、決して憂うべきことではないのである。
作家・生活史研究家。1968年、兵庫県生まれ。食や暮らし、女性の生き方を中心に生活史と現在のトレンドを執筆する。主な著書に『日本の台所とキッチン 一〇〇年物語』(平凡社)、『大胆推理!ケンミン食のなぜ』・『家事は大変って気づきましたか?』(共に亜紀書房)、『ラクしておいしい令和のごはん革命』(主婦の友社)、『日本外食全史』(亜紀書房)、『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(幻冬舎)、『料理は女の義務ですか』・『小林カツ代と栗原はるみ』(共に新潮新書)など。
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