作家・生活史研究家。食や食らし領域が専門。
90年代に流行した「ティラミス」、数年前に話題になった「おにぎらず」、直近では社会現象にもなった「タピオカ」など、日々生まれている食のトレンド。なぜブームになったのか、その理由を考えたことはありますか? 作家・生活史研究家の阿古真理さんに、その裏側を独自の視点で語っていただきました。
新型コロナウイルスの感染拡大のため外出自粛を迫られ、自宅で過ごす時間を楽しもう、とパンやケーキを焼く「ベイキング」にハマった人は多いのではないだろうか?
というのはこの春、小麦粉やホットケーキミックス粉の品薄状態が続いたからだ。朝日新聞は5月2日の記事で、これらの商品がフリマアプリなどのネット上で高値で販売されるのに対し、農水省が「在庫は十分にある」と呼びかけたことを報じた。時事ドットコムの5月16日配信記事でも、富澤商店のパン用の材料が3月下旬から急速に売れて前年同時期の5倍弱にもなり、4月21日に受付数を制限したとある。
SNS上でも、「小麦粉が売っていない!」「ベーキングパウダーが店頭になかった」といった声が相次いだ。私もゴールデンウイーク直後の週末、近所のスーパー5軒を回ってチェックしてみた。すると、ものの見事に小麦粉の棚が空で、ホットケーキミックス粉がない棚も多かった。もっともピークはそのあたりだったらしく、翌週には小麦粉はちゃんと棚に並んでいたのだが。
クックパッド食の検索サービス「たべみる」でも、ベイキング関連の検索頻度は去年の同時期と比べ上がっていたことが分かった。
増え方が最も大きかったのがクッキーで、4月18日からの1週間で約3.5倍、次がスコーンで4月28日からの週に約2.9倍。続いてホットケーキミックスを使ったレシピが4月18日からの週で2.8倍、パンは4月25日からの1週間で2倍になっている。いずれも、2月下旬から3月に前年より検索頻度が増え始めている。また、ケーキというワードでは違いが見られなかったが、最近流行しているチーズケーキでは、4月28日の週に1.65倍になっている。
レシピを検索して作るのは、ふだん作らないお菓子やパンを作る人が多いはずで、もしかすると初めてのベイキングだったのかもしれない。なぜ皆、急にベイキングを始めたのだろうか?
第一の理由は、それが自宅でできる趣味だからだろう。特にパンは発酵させる時間が必要で、手間もかかる。忙しい日々には手を出しづらいが、巣ごもり生活ではむしろ、時間つぶしにうってつけだ。実はアメリカでも、「ストレス・ベイキング」と呼ばれて3月から大流行し、卵不足になるなど製菓・製パン材料が品薄になった。
家族で一緒に作業する、子どもが挑戦するにも、ベイキングはぴったりの遊びと言える。小学生が初めてのお菓子を焼く、中学生が初めてのパンを焼く。粘土遊びのようにこねる感触が気持ちいいし、バターや卵が、混ぜることでどんどん姿を変えるビジュアル的な楽しさもある。また、パンやケーキが焼ける匂いがもたらす幸福感は、手作りならではのものだ。
そのうえ完成品は、おやつになる。おいしければうれしいし、達成感も満足感もある。次は何を作ろうか、と考えるのも楽しい。
また、1日家にいると、つい何かつまみたくなるもの。気分転換もしたい。そんなときに、おやつを食べる、お茶の時間を設けるなどした人も多いのではないだろうか? おやつに変化を持たせるため、手作りした人もいるだろう。手早く作れるスコーンが、「たべみる」で3月以降著しく検索頻度が上がっていることからも、そのことがうかがえる。
コロナ禍での流行、という側面から見たとき、簡単に結果が出ることもベイキングの魅力だ。いつ収束するか分からない不安な日々。
そんなとき、人にできるのは今目の前にあることを淡々とこなすぐらい。作って完成させて食べる。何事にも終わりがある、ということをすぐに確かめられるのが、ベイキングなのである。
私も5月に入って、久しぶりにクッキーを焼いた。手作りの楽しさは、売っているものには出せない味を作れることにもある。もちろんプロの品質にはかなわないが、手作りのものだから出せる味もある。焼き加減も自分好みに設定できる。料理で、外食や総菜にはない家庭の味があるのと同じだ。アレンジもできる。パンだったら、好きな具材を練り込む人、包む人もいるのではないだろうか。レシピさえあれば、あまり売っていない種類のお菓子やパンを作ることもできる。そして今は、レシピや食材の選択肢は多い。
もちろん技術的にハードルが高いものもあるが、失敗しても許されるのが趣味のいいところでもある。自分には向かないと思えば、作るのをやめればいいのだし、できが今一つでも自分で作ったと思えば愛着も沸く。子供が作ったと思えば、成長を実感もできる。さまざまな手応えをもたらしてくれるのが、ベイキングの楽しみなのである。
作家・生活史研究家。1968年、兵庫県生まれ。食や暮らし、女性の生き方を中心に生活史と現在のトレンドを執筆する。主な著書に『日本の台所とキッチン 一〇〇年物語』(平凡社)、『大胆推理!ケンミン食のなぜ』・『家事は大変って気づきましたか?』(共に亜紀書房)、『ラクしておいしい令和のごはん革命』(主婦の友社)、『日本外食全史』(亜紀書房)、『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(幻冬舎)、『料理は女の義務ですか』・『小林カツ代と栗原はるみ』(共に新潮新書)など。
阿古真理さんの理想のキッチンに関するプロジェクトはご自身のnoteやYoutubeでもコンテンツを更新中です。