決められた材料、分量、調理法などない。何にも縛られず、自分だけの「美食」を味わうために作る料理があってもいい。それはきっと、心満たす色鮮やかな時間をくれるはず。出張料理人・ソウダルアが綴る、人と料理と時間と空間の物語。
もっかい、ウチきませんか?
ランチ帰り、オフィスの廊下でうしろから声がした。
振り返ると、まっすぐにこっちを見ている彼女がいた。
なにか言わなきゃいけないと思いながら、言葉に詰まっていると、
最近、料理にハマってて いろいろつくり過ぎちゃったんですよね
前の会社の友だちとかタイミング的になんか誘いづらいし、こっちに仲いい人もまだいないし
自分で食べるのも飽きちゃったし
あと、味見? みたいな
感想とか聞きたいんすよね
いやっ別に嫌ならいいんすけど
まあ、先輩誘いやすかっただけなんで
と、一気に喋り終えると、ふうと一息ついた。
あっ
そういうことなら行かせてもらおうかな
じゃあ、俺もなにかつくっ
いや
そういうのいいんで
ほんとにたくさん余ってるんで手ぶらでっ
でも、お酒は買ってきてくださいね
と言いながら、笑う顔があの日を少し思い出させた。
そういうことなら、遠慮なく
お酒だけ買っていくね
いつにする?
じゃあ、今日で!
ウチ覚えてます?
まあ、なんとなくは
一応、LINE、交換しときましょ
やり方わかります?
ポケットからスマホを出すと、ぱっと取って、あっという間に登録してしまった。
スタンプ送っときましたんで!
画面を見ると、えも言われぬ顔をしたうさぎが“ええやん”と言っていた。
女子独特のかわいい感覚というやつか、とまじまじと見ていると、
ええでしょ、それ
と、うさぎよりは断然、かわいい関西弁で言っている。
ほな、今夜!
一瞬、あっという顔をして、少し照れくさそうにしながら、先に歩いていった。
急な誘いにどきどきしている自分がいる。
手のひらで頬をさわってみるとほんのりと熱い。
今夜か……
言うたった、言うたった!
勢いまかせやったけど、大丈夫やったやろうか。
でも、気になるもんはしゃあないもんな。
好きなんか、なんなんかはっきりさせるにはもっかい会うしかないし。
改めてどっかでごはん行っても、しれっとしてそうやしな、あの人。
はあ〜。あつっ。
でも、なにつくったらええんやろ。
別になんにも余ってへんし。
まあ、なんか適当にその時のノリでつくったらええよな。
ふわふわした気分でいたら、あっという間に終業時間になっていた。
特に仕事も抱えていないので、定時でさらっと上がる。
帰り際にちらっと彼のデスクを見ると、もう少しかかりそうな気配。
そもそも、彼が定時で上がったのを見たことがないし。
うんうん、ちょうどええわ。
一歩、外に出ると昼間とは打って変わって寒くなっていた。
みんな寒そうに歩いている。
夕日だけがすこし不気味なくらいにきれいで、なにかの記憶がむすびつく。
こんな日はおでんや。
木枯らしの吹くなか家路に着いて、ふわっと香った出汁のにおい。
すごく幸せな気持ちになった思い出がある。
最近行くようになった近所の八百屋におでんダネが出揃ってきているのを思い出した。
あのセット買って、あと大根と玉子を入れりゃあ完璧やん。
家に着いてみて、おでんなんかつくったことがないことを思い出す。
ただ、ひとつの作戦を思いついていた。
炊飯器で炊いたらええんちゃうん?
大根の皮をむいて、輪切りにして、底に敷き詰める。
あとはがんもやらごぼ天やらが入ったセットを入れて、卵は……んーーー、めんどいから、カラごと入れて、あとで剥くってことで。
水を米が炊ける、ギリギリまで入れる。
で、出汁パックをふたつ。
と、思ったけど、あの人、濃いめが好きそうやから、もうひとつ入れて、醤油もちょっと。
炊飯ボタンをぽんっ。
そのスキに部屋の掃除をしてまおう。
こんなふうに誰かのために掃除をするのはいつ以来かな?
もはや、思い出すことすらできない。
そうこうしていると出汁の香りが部屋をつつんでいた。
そうそう、これこれ。
狙い通り。
ぴんぽんっ
と、ベルが鳴る。
えっ、もう、ちょお待ってや。
化粧、ちゃんとしてへんし。
服も適当やし。
まあ、ええか。あんま、張り切るのも変やしな。
はい、どうぞー
って言っても、聞こえへんか。
はいはい、いま、いきますー。
ドアを開けると会社帰り、まんまの彼がいた。
当たり前だけど。
こんばんは
自分の家の玄関で聞くと、なんだかいつもと違う響きに聞こえてきて、なんだか急に緊張してきた。
あっ
いいにおい
でしょ?
関西人は出汁命やからね
まあ、どうぞどうぞ
うん
お邪魔します
これ
と、手渡された袋にはビールと良さげな日本酒が入っていた。
わかってるやん、この人。
とりあえず、そこらへん座ってください
ちょっと、準備しますんでー
はじめはビールでいいですか?
あっ
じゃあ、ビールで
グラスいります?
や
別に大丈夫だよ
ビールを手渡され、一口飲む。
座って、なんとなく部屋を見回していると、なんだか緊張している自分に気づく。
すぐに喉が乾いたので、もう一口飲んでみる。
やっぱり、緊張している。
うわー。
ほんまに来たやん。
約束してたし、わかってたけど、正直なんなん、このシチュエーション?
おでん、どないして出そう、いい感じの鍋も器もないし。
なんか、もうおもろいから、このまま出したらええかな。
引くかな?
あえて、そのまま出した方が、そんな意識してない感出てええんちゃうかな?
はい、これ
と言いながら、彼女が炊飯器をテーブルに置いた。
いきなり、ごはん??と困惑していたら、蓋を開けるとふわっと出汁の香り。
たくさんの湯気の中から、おでんが現れた。
余りもん食べさすのもちゃうかもなって思ったから、おでん、つくってみたんですよ
おでん……
炊飯器で……
よく考えてみるとちょうどいいかも知れないな、などと思っていると、
はい、かんぱい!
と、缶ビールを合わせてきた。
ちょっと、ぬるくなったビールが妙に美味しくて、やっと、体に入ってくる感覚になった。
ほな、食べましょ
てきとうにそのまま取って、ええですよ
と言うと、ちょうど目が合う。
いただきます
また、重なった。
彼女にうながされるままに一番手前にあった厚揚げを一口食べると、じゅわりと出汁の味が口に沁みこんできて、とんでもなく美味しかった。
一緒にいただきますって言うと、やっぱり、何かが違う気がする。
いつも食べて、充分に満足していたコンビニのおでんにはもう戻れないかも知れない。
いろいろ、もう戻れないかも知れないな。
彼女が美味しそうにビールを飲む顔。
彼女がぱくぱくと美味しそうに食べる姿を見ているとそう思ってしまった。
※この物語はフィクションです。実際に炊飯器で調理をする際は、取扱説明書に記載の事項をご確認の上、お使いください。
大阪生まれ。5歳の頃からの趣味である料理と寄り道がそのまま仕事に。“美味しいに国境なし”を掲げ、日本中でそこにある食材のみを扱い、これからの伝統食を主題に海抜と緯度を合わせることで古今東西が交差する料理をつくる。現在は和紙を大きな皿に見立てたフードパフォーマンスを携え、新たな食事のあり方を提案中。
【フードパフォーマンス映像】
https://vimeo.com/275505848