皆さん、吹きガラスってご存知ですか?ドロドロにした原料を熱い釜へ入れたり出したり繰り返し製品にしていく大変な作業です。社会科見学&工場見学を通じて日本のものづくり現場を紹介・応援するメディア「しゃかいか!」が、幕末から続く「備前びーどろ」のリポートをお届けします。
工房の中では若い職人さんがお二人働いています。
藤井崇(ふじいたかし)さん(35歳)。職人歴は17年。高校生の時にテレビ番組で「ガラスがぐにゃっとしているところを見て」一目惚れ。翌日、学校の先生に「どこに行けば職人になれるの?」と聞いて、卒業後、副島硝子工業さんに就職。熱いオトコ。
いったん石川県の能登島に武者修行で実績をつんだのち、戻ってきました。
副島正稚(そえじま まさのり)さん(32歳)。
広島に2年くらいサラリーマンとして勤めた後、実家である副島硝子工業さんへ就職。
種どり
この釜の中には「ツボ」が入っていて、炎がずっとまわっています(「オープンポッド」といいます)。中の温度は1,100℃〜1,300℃!
原料を仕込むのは前日からです。朝から火を起こすと全然間に合わないので、前日から種の状態にしておかなければなりません。もっと中まで見たかったのですが、目が溶けそうなくらい熱かったのでこの距離でご勘弁ください。
リン掛け
熱々のガラスは釜から出した直後はドロドロ。しかし取り出してすぐ表面から冷え始めるので、加工しやすいように、油を混ぜた液体で形を丸くしておきます。
縄文カップは表面のでこぼこが特徴。型にはめて形を整えます。
ブロー台を使って中に空気を吹き込んで、カップ状に成型します。先ほどの釜と比べて少し温度は低く約600〜700℃くらい。
縄の目の柄をつけます。
この時、縄用の溶けたガラスを竿で支えています。二人の共同作業。
これをもう一度ブロー台で焼戻して、
成形し、
底の形を整え、
口部分を切り落とすために、また別のガラスの種をそこにくっつけて、小鳥竿で支えます。
この工程をポンテ焼きといいます。
口のほうを切り落とし広げていきます。
最後に底の表面をバーナー仕上げて、
釜で冷まします。
ガラスは水や空調で急激に冷やすことができないので、1日かけてゆっくりと冷まさないといけません。
つまり前日に作った製品が取り出されるのはだいたい翌日以降。
ここで二人は交代。
終業前の20分ほどを教育の時間にあてて、実際に作業をします。師匠に横に立ってもらって、マンツーマンで指導。
作業が終わると、前日から冷ましておいたものを取り出します。
これは、正稚さんが作ったもの、師匠の崇さんのチェックが入ります。
銀まぶしの具合や形の均一度合いなどを見ます。
翌日のガラスの種を仕込む
製造工程で割れたものは溶かしてまた再利用します。
しかし、色のついた硝子はもう一度溶かしても使うことができないので廃棄になります。
まるで武道の型をみるよう
びっくりしたのは二人の動き。息ぴったりというにはありきたりな表現なのですが、あまりにも無駄のない所作。一つのグラスが出来上がるたびに釜→リン掛け→ブロー台→成形...釜と二人は決まったスピードで工房の中を回りながら作業を進めていきます。
作業する位置に移動するというよりも、二人の動きの先にマシンや道具や配置されている感じ。
例えば縄付けの工程の際には、藤井さんが竿でグラスを回そうとしているところに、すでに副島さんが小鳥竿を構え添える、少しの無駄がありません。まるで武道の美しい型を見ているようです。
そして当然二人はしゃべりません。つまり喋る必要がないくらい、呼吸があってるってこと。
「お二人は仲が悪いのですか?」と聞いてしまったくらい。(休憩中はタバコをすって普通に楽しそうに会話していましたよ)
ずっと眺めているうちに、もしかしたら二人は肥前ビードロの100年続いてきた技とともに武士の魂も一緒に受け継いでしまったお侍なのではないか、きっとそうだ!「武士道とは死ぬことと見つけたり」と、妄想したりしました。
夏はビールが日本一うまい職業なんですよ!
「暑い時期はしんどくないですか?」と聞くと藤井さんが笑顔で返してくれた言葉。
若い二人が継承する100年続く肥前びーどろの技は、きっとまた100年後も残っていると思います。
これから暑くて大変な季節ですが頑張って、次お伺いした時には僕も一緒にグイッとお願いします!
【詳細情報】
副島硝子工業株式会社
電話番号:0952-24-4211
住所:佐賀県佐賀市道祖元町106番地
URL: http://www.hizen-vidro.co.jp/
(text、photo:西村)