90年代に流行した「ティラミス」、数年前に話題になった「おにぎらず」、直近では社会現象にもなった「タピオカ」など、日々生まれている食のトレンド。なぜブームになったのか、その理由を考えたことはありますか? 作家・生活史研究家の阿古真理さんに、その裏側を独自の視点で語っていただきました。
2010年代の日本は台湾ブームで、テレビでも繰り返し、台湾を紹介する番組が放送された。台湾グルメの紹介では、必ずと言っていいほど取り上げられたのが、小籠包だ。ガイドブックや雑誌でも、小籠包はフィーチャーされる。
私が台湾へ旅行したときも、周囲の人から「小籠包、食べました?」と聞かれた。そのぐらい台湾と結びついてイメージされる食べ物なのだ。
私は台湾へ3回も旅行しているが、小籠包は特に好きなわけではない。もちろん嫌いではないが。味覚が鈍いのか、日本で売られているそれと台湾での味の違いはもちろん、店による違いもわからない。だが、好きな人は多い。そこで今回は、いったいなぜ、小籠包がそれほど日本人の心をつかんだのかを考えてみたい。
台湾には、おいしいものがたくさんある。かき氷にハマっている人も、魯肉飯が好きな人も、料理全般が好きな人もいるだろう。これまで3回旅行した私のお気に入りは、干し豆腐を使った料理や、あっさり味のスープや多彩な点心類。台南の牛肉スープは、インパクトがまったくないのに、後を引くおいしさだった。そして南国特有の果物。さっぱりした味が好きなことも、小籠包にそれほど食指が動かない理由かもしれない。
たくさんおいしいものがある一方で、食文化の違いから苦手がある人もいるだろう。
私はあまり八角味オンパレードになると、抵抗を感じる。言葉に不自由な外国では、こうした自分好みではない味にばかり出合うリスクもある。
その中で小籠包は、日本人の好き嫌いが分かれるほど個性的な味ではない。肉まんなどと似た皮と食べたことがあるような餡、そして間違いがない滋味深いスープが一緒に入っている。その味の安心感が、小籠包を注文する人を増やしているのではないか。そして、台湾に来た実感を味わう。
日本でも食べられる店が増えているので、このまま行くと、ギョウザや肉まんのように定着するかもしれない。いやすでに定着している。この点に特に注目したい。小籠包はこのまま、日本の中華になるのではないか、と考えられるからだ。
明治になると、日本に中華料理が入ってきた。留学生が増えた20世紀初め頃には、東京でも気軽に食べられる中華料理店が増えていく。ラーメンもこの頃定着した。それから昭和半ばぐらいまで、中華のお供の点心はシュウマイだった。
ところが、戦後に満州から引き揚げてきた人たちが、次々とギョウザを売る店を開く。人気芸人だった古川ロッパは、『ロッパ食談』でギョウザの店が渋谷や新宿に続々とできたブームの様子を書いている。中華のお供はギョウザに交替し、ギョウザ中心のチェーン店までできて定着した。ギョウザの町、と名乗りを上げる自治体もある。雑誌もくり返しギョウザ特集を組む。もうすっかり国民食だ。
昭和半ばまで数十年がシュウマイ人気、その後がギョウザ人気とすれば、それからすでに60年。そろそろ点心の主役が交代してもいい頃かもしれない。新しい主役は、小籠包。
シュウマイは、皮と餡が一体化した味わいがいい。ギョウザは、味わいも食感もメリハリがあり油脂も多いので、復興や経済発展のためアグレッシブだった日本人の好みに合ったのだろう。安上がりに主食として楽しめる点もきっとよかった。作るには手間がかかるものの、レシピが紹介されて皮やラー油が売られるようになり、家庭料理にもなった。
小籠包はギョウザよりごちそう感がある。何しろ、1個で主食になる皮、メインとなる餡、そしてスープまで入っていて、まんじゅう1個で一汁一菜として成立している点で、国民食になったラーメンと似ている。盆栽など、世界を小さく凝縮させるものが好きな日本人にはぴったり。
一方で、スープを一度冷やして煮凝りにしてから餡と一緒に包んで蒸す、という手間が、小籠包を家庭料理として成立させるにはハードルが高い。シュウマイも家庭料理にできるが蒸し器を持っておかないといけない不便さがあって、どちらかといえば外食として成立していた。台所環境の未整備もあって、昭和半ばまで、中華は外食で味わうものだった。
ギョウザの発展期は、主婦が増えた時代だ。手間暇かけてバラエティのある食卓を整える習慣が広まった時代、手間はかかるが安く作れるギョウザは重宝された。対して小籠包が流行る現代は共働き時代で、外食がすっかり日常として定着している。そのうち、ラーメンにギョウザではなく、ラーメンに小籠包が定着するかもしれない。ラーメン屋特製のスープ入り小籠包、なかなかおいしそうではないか。