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コラム

【松浦弥太郎の買い物エッセイ】「岸澤屋」の黒豆甘煮

赤ちゃんのキラキラした瞳のように美しい黒豆の甘煮である。瓶のフタを開けるとポンと空気が抜ける小気味いい音がして、そこには自分がよく知る黒豆とは、はるかに違う黒豆が、これまたなんとも言いようのなく、美しく澄んだ煮汁の中に、静かにひしめき合っている。豆の皮は風船のようにピンと張っている。まさに手仕事の極みというのだろうか。僕は、大阪・岸澤屋の「黒豆甘煮」をこんなふうに見つめている。

おせちだけでなく、年がら年中、黒豆を常備し、しかも箸ではなく、欲張ってスプーンですくって食べる自分がいる。ほんとうに食いしん坊だと呆れてしまう。けれども、岸澤屋の「黒豆甘煮」を一度食してみればわかる。お正月ではなく、時々でもなく、いつも、できれば毎日でも、味の魅惑がそこにある。

江戸時代から大阪で旅館を営んでいた岸澤屋。当時から家伝の「黒豆甘煮」が評判だった。それこそ今の言葉で言えば、行列のできる知る人ぞ知る店だった。今では、様々な種類の煮豆や佃煮を揃えた、庶民に愛される老舗として佇んでいる。

店の看板には「御黒豆処」と書かれている。説明書きには「黒豆は古来本草医学でもいう毒消し、又は腎臓の薬であり諸毒消しとなります」とあるように、黒豆は、栄養があり、健康食としても優れ、しかも、甘くて、美しく、縁起よく、おいしい、と、非の打ち所が見つからない、日本が誇る食べものである。

つやつや、ぴかぴか、自分の顔がそこに映る美しさ。

当然のことながら、年の暮れに、岸澤屋の「黒豆甘煮」を手に入れるのは至難である。だからこそ僕は普段から買い置きをし、日々のおやつに、または、ちょっとした手土産に愛用している。

日々のおやつ、と言うには理由がある。バニラアイスをスプーンで2、3杯すくって、器に盛りつけて、岸澤屋の「黒豆甘煮」を10粒ほど上からコロコロっと添える。上から蜜をスプーンでとろりとかける。蜜のかかった黒豆とバニラアイスを一緒にスプーンで口に入れる。ああ、こんなにおいしいものを食べてよいのかと、周りをキョロキョロ見渡してしまう罪な味とでも言おうか。今まであったいろいろがすべて帳消しになってしまうおいしさとでも言おうか。

黒豆を煮た、この蜜が実においしい。

江戸時代からの家伝の味、「黒豆甘煮」を今日も人の手でせっせと作り続けている岸澤屋。訪れるたびに手を合わせたくなるのは僕だけだろうか。

文・写真:松浦弥太郎

黒豆甘煮といっしょに、胡麻豆富はいかがでしょうか。どちらもまごころを込めて作られた、しみじみとしたおいしさです。

くらしのきほん

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