cookpad news
コラム

アスリートが直面する引退後のキャリア。元サッカー日本代表・石川直宏さんが農業を始めた理由

小竹貴子

クックパッド初代編集長の小竹貴子が、食を通じて社会課題の解決に取り組む人にお話を聞く企画。元サッカー日本代表であり、現在FC東京のコミュニティジェネレーター石川直宏さんにお話を伺いました。

元サッカー日本代表が育む、最上級とうもろこし

「美味い! 完熟した柿かと思うほど甘い! こんな美味いとうもろこしは久しぶり!」
――一人の感動がSNS上で爆発しました。生でかじって美味しいと皆が夢中になるとうもろこし、名を「なおもろこし」。元サッカー日本代表であり、現在FC東京のコミュニティジェネレーター石川直宏さんが農場長を務める「NAO's FARM」で採れたとうもろこしは、現役時代の愛称「ナオ」から「なおもろこし」と名付けられました。

この「なおもろこし」は、品種は「プレミアム味来85」でブドウや桃に勝るとも劣らない糖度を持ち、バイオスティミュラント(※)資材を活用し、減農薬・減化学肥料を実現することで品種のもつフルーティーな甘さを最大限引き出す栽培に取り組んでいます。
FC東京のホーム・味の素スタジアムにある南側広場で、期間限定で販売される名物グルメ(スタジアムグルメ)なのです。

(※)植物に対する非生物的ストレスを制御することにより気候や土壌のコンディションに起因する植物のダメージを軽減し、健全な植物を提供する新しい技術のこと

8月、真夏の太陽がじりじりと照りつける味の素スタジアム。
キックオフは19時にもかかわらず、昼間からスタジアム周辺は熱気に包まれ、外には長い列ができていました。並ぶ人々が目指すのは「なおもろこし」。サッカーファンだけでなく、とうもろこし愛好家さえも心を奪われる究極の一品は、15時の販売開始前から大行列になることが珍しくありません。

スタジアムで試合が開催される日に合わせ、早朝5時前の日の出とともに、石川さんとスタッフは長野県飯綱町の畑に集合し、600本ものとうもろこしを慎重に収穫します。品質をチェックし、9時にはトラックに積み込み、250キロの道のりを3時間半かけて東京へ向かいます。朝の早さや長時間の労働にもかかわらず、石川さんたちは疲れを見せず、スタジアム到着後はファン一人一人に心からの笑顔で対応します。「昔からなおさんのファンなんです、やっと会えて嬉しい」と感極まって涙ぐむ人。「新鮮なとうもろこしをかじりながら観戦したい」と瞳を輝かせる親子連れ。対話を大事にする石川さん、ファン同士の温かな交流がそこには広がっていました。石川さんの取り組みは、サポーターに特別な体験を提供し、クラブへの愛着をさらに深めるきっかけとなっているようでした。そして「なおもろこし」はあっという間に完売してしまいました。

しかし、なぜ石川さんはコーチや監督という道を選ばず、農業の道へ進んだのでしょうか。

怪我に苦しんだ現役時代。次のキャリアを考えるきっかけに

石川直宏さんは元サッカー日本代表選手であり、FC東京のクラブレジェンド。その俊足と圧倒的なスピードで敵陣を切り裂くプレースタイルから「スピードスター」と称され、多くのファンの心に刻まれました。しかし、そのプレースタイルゆえに怪我に悩まされることも多く、リハビリ期間には自身のキャリアについて深く考える時間が増えたと振り返ります。

2017年、石川さんは惜しまれつつも現役を引退。そして、新たな道として「クラブコミュニケーター」(2024年からFC東京コミュニティジェネレーターに就任)を選びました。これはJリーグ初の試みであり、石川さんはその先駆者となることを決意します。クラブコミュニケーターとは、選手やビジネススタッフ、そしてサポーターや地域社会とのあらゆる人との橋渡し役を務め、クラブへの愛着をさらに深める役割のこと。石川さんは、コーチや監督ではなく選手やビジネススタッフと共に“想い”を繋ぐ役割を自ら進んで担ったのです。

「サッカーは奥が深いスポーツです。選手や指導者としての選択もあったのですが、私は違う視点からサッカーを見たいと思いました。コーチや監督になることで得られる深掘り以外にも可能性があると感じたのです。現場では、監督、コーチ、スタッフが一生懸命にクラブを支えています。彼らが感度高く視座を上げ、なぜこのクラブでサッカーをするのか、その意義を共に考えて感じてもらえる機会を作るのは自分にしかできないと思いました」

農業でアスリートのキャリアを支援

石川さんは、以前からアスリートが競技活動以外でキャリアを築く手段として農業に可能性を感じていました。そんな時に縁のあった長野県飯綱町でNAO‘s FARMという農業プロジェクトをスタート。2021年にはクラウドファンディングで151万人から240万円を超える支援を受けることができ、プロジェクトは本格的にスタートしました。

「アスリートのように一芸を極めた人たちは、その存在自体で人々に勇気や感動を与え、社会や地域に元気を与えてくれます。でも、キャリアチェンジの際には皆苦労が多い。その一因は、プレイヤー以外の仕事を知る機会の少なさにあります」と石川さんは話します。

農業に取り組む中で、石川さんはサッカーと農業の間に多くの共通点を見つけました。

「農業に向き合う姿勢とサッカーのそれはとても似ています。目先の結果を見通して『やる・やらない』を判断するのではなく、毎日の小さな努力と定期的なケアが求められるのです」

しかし、それでも努力が報われるとは限りません。

「農作物は、天候や環境の影響で一瞬でダメになることもあります。それはサッカーで怪我をして試合に出られなくなるのと似ています。そんなときこそ、自分と向き合うことが大切だと感じます。怪我が多く自分を見つめる時間が多かった僕だからこそが見出した、サッカーと農業の共通点を、他のアスリートたちも感じてほしい」と石川直宏さんは続けます。

今後は、自然に身を委ねることで自分の素をさらけ出し、本音で語り合えるコミュニティを築きたいと語る石川さん。NAO's FARMでは、アスリートや企業の人材育成のトレーニングの場としてスタートが予定されています。また地域社会の活性化を繋ぐ場所として、大きな役割を果たしているのです。

石川さんが育む「なおもろこし」は、その甘さと美味しさが人々を幸せにし、地域では農業の作り手として笑顔をもたらします。そして彼の食とスポーツを繋げた取り組みは、ファンとの繋がり、現役後のアスリートたちのキャリア支援にもつながり、農業に新しい可能性を見出しています。

執筆者情報

小竹貴子

クックパッド株式会社 広報部 本部長
農林水産省 食育推進会議専門委員

2004年入社。2006年初代編集部門長就任。 2009年日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2010」を受賞。 広報部門以外に、クックパッドの家庭科を担当している。 著書に「ちょっとの丸暗記で外食レベルのごはんになる」(日経BP社)『時間があっても、ごはん作りはしんどい』(学研プラス)など。 毎日の料理を楽しみにするポッドキャスト『ぼくらはみんな食べている』でパーソナリティを務める。

編集部おすすめ
クックパッドの本