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コラム

農業ベンチャー社長が語る「農家はやめとけ」とみんなが言う本当の理由

クックパッドニュース編集部

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クックパッドのポッドキャスト番組「ぼくらはみんな食べている」。食や料理に熱い思いを持ち活躍するゲストを迎え、さまざまな話を語ります。クックパッド初代編集長の小竹貴子がパーソナリティを務めます。第11回目・12回目のゲストは、株式会社マイファーム代表取締役の西辻一真さんです。

「株式会社マイファーム」とは…?

小竹:まずは株式会社マイファームについて教えていただけますか?

西辻さん(以下、敬称略):2007年にできた会社で、「自産自消ができる社会をつくろう」ということで、世の中の人たちが少しでも野菜作りに取り組むような生活スタイルを築くことができれば、世の中がもっとよくなるのではないかという思いでスタートしました。

株式会社マイファーム代表取締役・西辻一真さん

小竹:今14年目で社員数は約300人とのことですが、拠点もたくさんありますよね?

西辻:経営的な戦略ですが、農業はすごくいい仕事ですが、どうしても自然災害がある。それが安定的な収益を生む際のリスクになってしまうんです。普通はリスクを減らそうとするのですが、僕たちはリスクを分散させる考え方を持っていて、できるだけ各地で事業を行うようにしています。だから毎年被害に遭います。

小竹:絶対に自然災害はありますもんね。何ヵ所くらいあるのですか?

西辻:今は全国の農場拠点で150ヵ所ほど。北海道から沖縄まであります。まだ開拓していない都道府県はいくつかありますが。

小竹:自然災害はあるという前提で増やしていく?

西辻:そうです。「自然災害を避けるために植物工場にしましょう」とか「できるだけ災害の少ない場所に作りましょう」などとよく言われますが、それはなかなか難しいと思っていて。どこでも自然災害は受けますっていう会社になっています。

小竹:西辻さんはいろいろなところにいるのですか?

西辻:うちの会社は京都が本社なのですが、僕はどこにでも行けるように4年前に東京に引っ越してきました。

母親との「家庭菜園」が最初の畑との接点

小竹:西辻さんは福井県出身ということで、私は石川県出身なので北陸仲間ですね。農業をなさっているお家で育ったのですか?

西辻:サラリーマンの息子でして、たまたま父親の転勤で福井県三国町で生まれただけなんです。でも、友達はみんな、漁師か農家の子でしたね。

小竹:蟹漁師とか?

西辻:蟹漁師もいましたね。幼少期に友達と遊ぶときに、海なら潜れるようにとか、畑なら収穫できるようにとか、みんな遊ぶフィールドがあるんです。そうなったときに、サラリーマンの息子って何もできないので劣等感を抱くんです。

小竹:普通は逆の印象ですけどね。

西辻:石川でお生まれになった小竹さんは、農家さんとか漁師さんのご家庭ですか?

小竹:うちはお米屋さんです。周りに農業をやっている人が多いので、ゴールデンウィークになると田植えでみんな学校休みとか。

西辻:一緒一緒!それが僕は羨ましかった。みんな田植えで休んでいるのに、僕だけ学校に行っているのがすごく嫌で。できるだけみんなと一緒になりたいと思って、海に潜る練習をしたり、野菜作りをしたり、みんなと同化したいっていう思いでした。

家庭菜園での野菜作りに没頭した幼少期

小竹:お友達の畑を手伝ったり?

西辻:そうです。田植えの手伝いとかしました。ただ、母親が「家庭菜園をしようよ」って言って、社宅の裏庭に小さな畑を設けてくれたんです。そこで母親と家庭菜園をしたのが、自分にとっての最初の畑との接点です。

小竹:そのときは何を作ったのですか?

西辻:大根とかじゃがいもとか簡単に作れるものを作っていた印象がありますが、4~5歳でほぼ自分の力だけで野菜を作るというのは、我ながらすごいのではないかと思っています(笑)。

小竹:周りに教えてもらって作っていたのですか?

西辻:母親に聞いたところ、とにかくずっと畑にいて野菜を収穫していたそうで、「ほとんど手伝っていない」って言われたんです。それで「僕はできるんだ」という自尊心が生まれるという幼少期でしたね。

小竹:すごいですね。

西辻:家庭菜園をする方から「どうしたら野菜をうまく作れますか?」とよく聞かれるのですが、「野菜に向き合うことですよ」といつも答えます。「肥料をあげましょう」とか「草取りをしましょう」とかそんな話ではなく、畑にいて少し変わったというアクションが分かれば、こっちがリアクションで何かできる。野菜と僕との関係が密接であれば野菜はちゃんとできる。いつもそうアドバイスしています。

小竹:誰からも教えてもらっていないけど、ちょっと葉っぱが元気がないからお水あげようみたいな?

西辻:そういうことです。虫が来たからペッペッてするとかですね。

小竹:4歳ですごいですね。記憶はありますか?

西辻:母親に収穫したものを持って行って、大根の葉っぱを味噌汁に入れてもらって、大根を角煮にしてもらって喜んでいたのを覚えています。

小竹:そもそものきっかけは、周りのお友達が農業をしていることへの憧れでしたが、野菜に向き合い始めてみたら実はそっちだった?

西辻:そうですね。何かに熱中するとどんどん突き詰めたくなるので、それがたまたま野菜だったのかもしれないです。

小竹:ほかには、どんな野菜を作っていたのですか?

西辻:印象的なのは、小学生のときに栽培したじゃがいもです。じゃがいもは放っておいてもできるって昔の人や親から言われるんです。でも、放っておくと小さいのしかできません。だから、ここは放っておく場所、ここは土を耕す場所とかって分けて、いろいろとやってみたら、全然大きさも違うし、味も違う。そこに面白さを覚えたのが小学生時代です。

小竹:じゃあ家庭菜園でする野菜は、小学校の時には大体作った?

西辻:そうですね。親と一緒にホームセンターに野菜の種や苗を買いに行くのがすごく好きで。ほとんどの野菜はそこで作りましたね。

小竹:私も子どもに野菜を作らせていますが、できたものを料理するとすごく喜んでくれる。野菜作りは親子関係にもすごくいいですよね?

西辻:おっしゃる通りです!僕は反抗期もなく母親と仲良くやっていますが、それは小さい頃のお料理経験があるからかなって思います。

小竹:小学校から中学校、高校になっても野菜への情熱は失われず、むしろ高まった感じですか?

西辻:僕は植物がすごく好きで、福井県には植物採集という夏休みの自由研究があるのですが、そういったものとか、どこかのコンテストに研究結果を出すことが結構あったのですが、ほとんど総なめにしたことがあります。覚えている限りで6個くらい賞を獲ったと思います。

小竹:中学校や高校に行っても、賞を獲ったことから学問も深くいこうみたいな感じになっていくのですか?

西辻:僕はちょっと変わっていて、植物の品種や生育への興味よりも、どう楽しく畑と向き合えるのかということを考えていたので、家庭菜園を円形の畑にしてみたり、スイカをちょっと支柱を仕立てて、上で作ってみたりとか、楽しめるようなコンテンツを自分で作りたいと思っていましたね。

小竹:どこに楽しさを感じたのですか?

西辻:あえて子どもっぽく言うと、「答えてくれている」といううれしさがありますよね。

小竹:野菜が育っていったり、変化が起こったりというところですかね?

西辻:「たまごっち」が出たときに、野菜を育てたほうが面白いやんと思ったし、向き合うと答えてくれて嬉しいみたいな育てる楽しみを感じていました。

「世界一の農家になったら?」と母親に言われて…

小竹:どんどん楽しみを深めていって、京都大学農学部に入られたのですよね?

西辻:高校のときに約 5坪くらいの畑で野菜作りをしていたのですが、学校に行く途中に使っていない畑を見つけたんです。大きな畑で野菜を植えたいと思っていたので担任の先生に、「あの畑を使って野菜を作りたい」と言ったら「それは農家っていう仕事よ」って言われて。そのときに「農家いいね」と感じたのが、僕の職業に対しての憧れの第一歩なんです。

小竹:野菜作りの楽しみから、それをちゃんと仕事にするにはみたいなことが高校のときに?

西辻:そう。ただ、高校1年生なので、商売のしの字もわからない。農家が儲からないとか大変とか、そんなことは全然わかっていなくて、たくさん作れる人たちなんだという認識しかしていなかったです。

小竹:5坪から500坪に変わるなんてすごいじゃんと。

西辻:そうそう。それで母親に「学校の先生から農家いいよって言われた。農家になりたい」と言ったら、母親が「なんていい仕事なの」と言ってくれたんです。

小竹:素敵な言葉ですね。

西辻:あの言葉が僕の人生を変えたと思います。「やさしいし待つ力があるからあなたにぴったり」と言われて、その後に「せっかくやるなら、世界一の農家になったら?」と言われました。

小竹:また素敵な。

西辻:めちゃくちゃいい親ですよね (笑)。「世界一の農家になるにはノーベル賞を獲らないといけない。自分にしか作れない種を作らないとね」って。ノーベル賞が一番よく出ている大学に農学部あるからという理由で京大農学部を薦められたんです。

小竹:当時はやはり京大農学部が一番ノーベル賞に近い感じだったのですか?

西辻:今でこそ、いろいろな大学でノーベル賞が出ていますが、当時は理系の研究と言えば “変なことをする京都大学”みたいな感じでしたから。

小竹:実際に入学して、ノーベル賞を極める学びを得ることはできたのですか?

西辻:これが残念ながらできてなくて…。大学に入ってみたら、いくつか衝撃的なことがあったんです。まず、農学部に入った友達は、誰も農業をしたいとは思っていない。

小竹:農学部に来ているのに?

西辻:理学部に落ちたからとか、部活をやりたいからとか、安定的な道だからみたいな理由で来ている人が多くて。農業実習に行っても僕が積極的に前に出て、みんなはやらずに後ろにいる感じでした。「俺、農家になりたいんだ」みたいな話をすると「やめなよ」って言われるんです。学校の先生にも「農家になりたい」と話をしたら「やめとけ」って言われる。「研究を極めろ」とか言われる。

小竹:そういうことなんですね。

西辻:ノーベル賞を獲るような種を作って、すごい農家になると思っていたのですが、種の開発は何十年もかかるらしいんです。何十年もかかることに人生を捧げるのは研究者の道だと思ったので、僕は農家になりたいから種を作るのは手段でしかない。そうすると、手段に何十年も捧げるよりも、本来の目的をもう一度見直したほうがいいと思いました。ノーベル賞を諦めて、農家になるという本来の目的にもう一度戻ることにして、院には行かずに卒業しました。

小竹:なるほど。でも、4年間でいい学びはありましたか?

西辻:京都大学って書いてあるのに、「大阪高槻農場」というのがあるんです。みんなは京都のほうで勉強をしているのですが、僕は高槻農場にいたんです。そこはいろいろな作物を栽培できる場所で、稲作も果物も畑もやったりできる。しかも、企業との共同研究やほかの研究室が試験的に栽培してほしいものなどが集まってくる。ここに僕は自分から行っていろいろなもの触れたので、この経験は僕の今後にとても役に立ちました。

小竹:そんなにいろいろなものが集まる場所はなかなかないですもんね。

西辻:日本の農業の悪いところなのですが、農家はお米を栽培しろってなるんです。今ってオールマイティーに、マクロに見てミクロを見られる人が大事になっているので、僕はそのときにマクロが見られたのはすごくよかったと思っています。

小竹:リスクも含めて多品種を植えていらっしゃいますが、育てる楽しさとなるとさらに多品種になることも?

西辻:いろいろな作物を楽しめたほうがいいという考え方はまず1つですし、1つのものだけ作って全部病気で枯れるよりは、いくつか植えてリスクヘッジするという考え方もすごく広がってきていますからね。

「農家はやめとけ」とみんなが言う本当の理由

小竹:卒業後は「すぐに農家になる」と思っていたのですか?

西辻:大学4年の終わりに、農家になろうと思っていろいろなことをやるのですが、就職活動にはもちろん農家なんてないんです。

小竹:そうですよね。

西辻:とりあえず、以前に農家はやめとけと言われた高槻農場の先生に「どうしても農家をやりたい」と言ったら農家を紹介してくれて、京都の宇治や山城のほうの農家さんに「農家になりたいんですけど」って言ったら「やめとけ」って言われるんです(笑)。

小竹:農家の人にも(笑)。

西辻:「お前みたいなインテリには無理」とか「ひょろひょろしているから無理」とか言われて、どうしようと思っていたときにJAさんを思いついたんです。京都のJAさんに行って「農家になりたいんです」と言ったら「ここは金融の窓口です」って(笑)。JAバンクに行っていたんです。

小竹:それでどうしたのですか?

西辻:そのまま卒業式も終わり、いわゆるニートみたいなときに、大学の掲示板に「今からでも間に合う、あと2週間」みたいな感じの求人を見つけて、何の会社かよくわからないまま、これに申し込んでおこうと。

小竹:そこは急に妥協しちゃうんですね(笑)。

西辻:一抹の怖さがありました。社会に放り出されて仕事がないのは怖いと思ったので、とりあえず入れるところに入ろうという感じで入ったのが、ネクスウェイという会社です。

小竹:どういう会社ですか?

西辻:入ってからわかったのですが、リクルートの子会社でした。当時リクルートさんはFAX回線を売っていて、その営業です。「ファックス回線は絶対にこれから世の中からなくなると思うけど」と感じながら、沈みゆくマーケットの中で営業を頑張っていました。

小竹:それは楽しかった?

西辻:リクルート系の会社なので「あなたが何がしたいの?」ってすごく詰められるんです。そのときに「農業がしたい」と言うと、「いいじゃん!うちで修行すれば?」って言われたんです。だから、僕は修行だと思っていたので、何をやらされても修行という考え方をしていました。

小竹:いつか役に立つかもしれないということですね。

西辻:研修のときも「3年後に農家になりたいから必死で働く」というのをずっと言っていて、周りからは「頑張りなよ」って言われていました。

小竹:そこで必死で頑張ったことで、今の事業に活きていることはありますか?

西辻:3年と言っていたのに1年で辞めちゃったのですが、そこで世の中を知ることができたのはすごく大きいと思っています。配属が東京で、初めて東京に来たときに、名刺を道端で配って来いって。

小竹:本当にリクルート型の古い会社だ。

西辻:名刺獲得キャンペーンみたいなことで、秋葉原でずっと配っていたのですが、名刺をたくさんもらうにはどうしたらいいかと考えたときに、名刺を簡単に渡してくれるところに行けばいいと思って、飲食店ばかりに行ったんです。店長だったら名刺くれるかもって。

小竹:なるほど。

西辻:それで秋葉原の飲食店を回って名刺を獲得していたのですが、初めてあんなにたくさんの飲食店のバックヤードに入ったんです。当時は野菜とかが段ボールでガサッと置かれて地面に並んでいたり、ゴミ箱には廃棄されたものがすごく多かったりとか、都会はえげつないことをしているという気づきがあったのが、今の仕事につながる大きなポイントになった気もします。

小竹:そのときはそういう気づきが役に立つと思っていました?

西辻:いやいや。「農家になりたい」と言ったときにみんなが「やめとけ」という理由をずっと探していたのですが、秋葉原の飲食店を見て「これだ」と思いました。リスペクトされていないから捨てられているんだって。

小竹:野菜とかがね。

西辻:農家の人たちが「やめとけ」と言うのは、自分たちの野菜をリスペクトしてもらっていないと感じているのではないかなと。そのとき僕は22歳なので、商売の話は全然別ですけど、リスペクトされていないから気持ちが萎えちゃっているんだなって思いました。

小竹:されていないし、農業に関わる方も自分の仕事に対してのリスペクトがない。

西辻:リスペクトは評価に変わり、やがてそれがお金に変わると思っていて。だから、農家は儲からないというのが僕の根底に流れる考え方なんです。つまり、農業は儲からない仕事と言われるけど、全てそれは消費者の方の評価が低いからだと思っています。それが今のマイファームの仕事にすごく関わっています。

小竹:これは勝手な偏見かもしれないですが、秋葉原とかだと生産者の現場まで目が届く意識を持ったオーナーさんはそんなに多くない印象があります。

西辻:うんうん。僕の地元の福井県でもし飲食店があったとすれば、近くの八百屋さんから取るとか、生産者の人から直接買っているかもしれない。だから、関係値がすごく近いから良くなってくる。それが秋葉原だと一番遠いところにいる感じになってしまうので。

小竹:それは料理も近いと思います。作ることについてのリスペクトがないという私の中の課題があって、簡単便利に手軽にすればいいという流れがありますが、料理はもっとクリエイティブで楽しいと感じています。

西辻:そうなんです。「作る」と「食べる」の分断がある。これがなくなればいい世の中になりますよ。

(TEXT:山田周平)

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【ゲスト】

第11回・第12回(8月2日・16日配信) 西辻 一真さん

株式会社マイファーム代表取締役/学校法人札幌静修学園理事長/幼少期に体験した母親との家庭菜園の楽しさから農家を志し、2002年に京都大学農学部に入学。卒業後、1年間のサラリーマン生活を経て、2007年に農業ベンチャー「株式会社マイファーム」を設立。アグリイノベーション大学校という農業専門学校や体験農園、薬草やサツマイモの栽培などの事業を全国で展開。著書に『マイファーム 荒地からの挑戦 農と人をつなぐビジネスで社会を変える』『農業再生に挑むコミュニティビジネス 豊かな地域資源を生かすために』がある。

【パーソナリティ】 

クックパッド株式会社 小竹 貴子

クックパッド社員/初代編集長/料理愛好家。 趣味は料理🍳仕事も料理。著書『ちょっとの丸暗記で外食レベルのごはんになる』『時間があっても、ごはん作りはしんどい』(日経BP社)など。

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執筆者情報

クックパッドニュース編集部

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